キラリ民医連の医療・介護 「正月は自宅で鯛を食べるんや」最期まで気ままに過ごしたい 大阪・楠根診療所 藤原希美恵(看護師)
当診療所でも在宅ケアやターミナルケアの希望が増え、現在一〇〇人を超える患者の在宅療養を二四時間三六五日ささえています。どんな困難な状況におかれていても、住み慣れた家で最期まで過ごしたいという患者の思いに寄り添えるように努力しています。
Aさんは六〇代男性、独居。腰痛やふらつきなどで外来通院していましたが、数カ月中断していました。〇八年七月、右顎下リンパ節腫脹、痛みのため開口障 害もあり、すぐに総合病院の耳鼻科に紹介。そこで中咽頭がんと診断されました。返書には「根治困難のため元気なうちに次の準備をすすめるよう説明した」と 記載され、次の予約もありませんでした。セカンドオピニオンでも治療は困難と診断され、当診療所の在宅・外来で、痛みのコントロールを中心にフォローする ことになりました。
開口障害のため食事が摂れず、外来で毎日点滴を実施し、痛みが増強したためデュロテップパッチを開始、一〇月末ころから往診に移行しました。診療所の送 迎運転手に、毎日訪問して安否確認してもらい報告を受けました。年末年始が近づき、パッチの貼り替えや電話がなく連絡が取れないこと、急変など不安要素が 多いために入院をすすめましたが、何度説得しても「入院はいや! 家にいたい!」と断固拒否でした。
本人は、調子のいい日には買い物にも行きたい、自由にタバコを吸いたい、好きな時間にテレビを見たいという「気ままに自宅で過ごしたい」という思いが強 くあり、「何が起きてもこのまま家にいる」と言います。そして「毎年正月にはここで鯛を食べるのが楽しみなんや」と、照れくさそうに笑顔を見せました。
私たちはAさんの気持ちに寄り添うことにしました。援助を続け、年末年始の状態の確認はAさんの友人に協力してもらい、念願の鯛も自宅で食べることがで きました。しかし、一月二日には腹痛が起き看護師が訪問。四日には友人が救急車を呼び、緊急入院となりました。その後胃ろうを造設し、自己注入もできるよ うになり、三カ月後には本人の希望で退院し、在宅療養を再開しています。
私たちは、ターミナルの患者の望みを共感し、限りある命の一日一日を最期までその人らしく生き抜いてほしいと思っています。そのためにできる限りの援助をしたいと思っています。
(民医連新聞 第1467号 2010年1月4日)
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