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民医連新聞

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あらためて学んだ米軍基地の現状

嘉手納(かでな)侵略ささえる巨大基地

shinbun_1467_01  二日目の昼、「かでな道の駅」に到着。ここの展望台から嘉手納(かでな)基地を一望できます。東アジアにおける米空軍最大の基地であり、ベトナム戦争から イラク戦争まで、アメリカの侵略戦争をささえ続けてきました。羽田空港の二倍の面積を持ち、基地内には映画館や劇場、ゴルフ場まであります。その建設費や 日本人の基地従業員の給料、水光熱費などは日本の税金でまかなわれています。総額二二〇〇億円で、「思いやり予算」と呼ばれています。
 一方、土地のほとんどを基地が占める嘉手納町や北谷(ちゃたん)町の住民は、狭い地域に肩を寄せ合うように住んでいます。アメリカ本土では絶対やらない ような早朝から深夜の飛行訓練が行われ、騒音被害もひどい。住民たちは「せめて静かな夜を返してほしい」と、「新嘉手納基地爆音差止訴訟」をたたかってい ます。
 この日は日曜日のため訓練は行われていません。日差しの強い展望台で、沖縄協同病院の赤嶺琢哉さん(事務)が説明しました。「基地があるのは、日米安保 条約があるからです。条約の第六、第七条がその根拠です。民主党のマニフェストには安保条約のことは書かれていない。安保条約から抜け出さない限り、基地 は沖縄からなくならない。基地が本当に必要なのか、思いやり予算二二〇〇億円を投入する意味があるのか。みなさん一人ひとり考えてもらって、一つひとつの 行動に参加してほしい」と、訴えました。
 青年たちはグループ討論で、基地について語り合いました。

普天間(ふてんま) 危険な基地はすぐなくせ

 午後、宜野湾(ぎのわん)市の嘉数(かかず)高台公園に到着。ここから、焦点の普天間基地が見 えます。自転車リレー実行委員長の比嘉倫子(ひが のりこ)さん(沖縄協同病院・言語聴覚士)が、基地を背に解説。「基地が市の真ん中に大きくあり、その 周りに住宅地があります。ここで飛行機が離発着するのはとても危険です。私もこの近くの大学に通っていたのですが、飛行機が通るときはいつも、先生の声が 聞こえませんでした」。
 基地周辺には一〇〇近い学校や保育園・幼稚園・病院・介護施設があります。ここでも、昼夜かまわず離着陸訓練が行われています。決められた飛行ルートも 守らず、住宅の上を縦横無尽に飛んでいます。二〇〇四年八月、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落、何度も爆発が起こり、数十メートルの火柱が上がりました。ヘ リの破片が民家の二階で寝ていた赤ちゃんのすぐそばに突き刺さりました。大惨事になりかねない事故は頻発しており、住民は常に不安を抱えています。
 米兵の犯罪も後を絶ちません。一九九五年の米兵による少女暴行事件以降、移転を望む声が強まりました。厳しい訓練や戦闘で殺気立つ米兵は、日本の警察が 自由に捜査することさえできない日米地位協定を盾に、かんたんに犯罪を犯します。
 比嘉さんは、「生まれた時から基地があり、基地がない沖縄をイメージできない人も多いと思う。『今なくすのが難しい、現実的ではない』と言う人もいる。 でも、基地がなくても生活していける沖縄に向け、できることを探し、見つけていこう」と語りました。
 普天間を後にし、自転車リレーは午後五時、無事、ゴールの沖縄協同病院(那覇市)に到着しました。
 今回、実行委員が参加者一人ひとりに「平和とは?」と問いかけました。「未来に残すべきもの」などさまざまな答えが返ってきました。「平和とは」「基地をどうするか」を考える貴重な二日間となりました。

名護市長選、支援を

 普天間基地の辺野古への移設問題は、今月すぐに大きな山場を迎えます。一月二四日投票の名護市長選 挙です。マスコミの世論調査でも、沖縄県民の六割以上が「基地は県外・国外へ」と答えています。辺野古を抱える名護市の住民が市長選挙で新基地ノーの声を 上げれば、大きな影響があることは間違いありません。住民らは「反対」をかかげる稲嶺進氏を擁立し、基地容認派の現市長との一騎打ち。全日本民医連も支援 を表明しました。二〇一〇年、「基地のない日本」へ大きく動かすたたかいが始まります。

(民医連新聞 第1467号 2010年1月4日)