駆け歩きレポート(36) カネミ油症は終わっていない 40年間も苦しむ被害者 長崎・五島で聞きとり
「カネミ油(ゆ)症(以下、油症)」を知っていますか? 一九六八年、カネミ倉庫が販売した米ぬか食用油(カネミ油)に有毒な PCBが混入し、西日本を中心に数万人の健康被害を引き起こした食品公害事件です。発生から四〇年。被害者は苦しみ続け、二世、三世にも「黒い皮膚の赤 ちゃん」が生まれるなど、影響が現れています。しかし、救済どころか、被害の実態解明すら行われていません。(丸山聡子記者)
全身に多発する症状
一一月二二、二三の両日、全国保険医団体連合会が、油症患者が多い長崎・五島(ごとう)市で公害視察会を実施。民医連の医師も参加しました。
患者が訴える症状は全身に及び驚くほど多様でした。吹き出物など皮膚症状、頭痛、めまい、異常妊娠・出産、不眠、脊椎変形、不整脈…。
「こげんあっとです。なんだかもう病気のことしか考えられんようになって…。ノイローゼになって、死のうと思ったこともあっとです」。五島市奈留町に住 む高橋繁子さん=仮名=(79)は、自分の症状を書き込んだA4三枚を見せました。四年前からは口の中がただれ、食事も困難になり、外出もままなりませ ん。
患者の多くは、病苦、経済苦に加え、「カネミ油症の患者は結婚できない」などの偏見・差別にも苦しめられました。一家離散や自殺などの悲劇も起こりました。
同市玉之浦町の永尾きみ子さん(75)は、一四年前に未認定の夫がガンを患いました。生死をさまよい、職を失いました。命はとりとめたものの、耳が遠く なり、精神的にも追いつめられました。夫は三年前にようやく認定されました。
「同じ油を食べたのに、四人の子のうち二人と私は早く認定されました。でも、夫と二人の子は長く未認定で、何の補償もありませんでした。貧しい暮らしの 中、栄養をつけさせようと天ぷらやドーナツをつくり、子どもたちに食べさせました。安くて体にいいと宣伝されていた油を食べただけなのに、何十年も苦しみ 続けているのです」。
ほとんどが救済されず
「油症の特徴は、『病気のデパート』とも言われる症状の多さです」と、これまで患者を検診して きた藤野糺(ただし)医師(水俣協立病院名誉院長)は指摘します。「症状は八〇種を超えますが、ひとつひとつは特別なものではありません。一人の患者に多 数の症状が重なって現れます」。
補償の前提となる油症研究班(九州大学)認定基準は油症発生直後につくられたもので、皮膚症状が中心です。慢性の症状や後で出現する内臓疾患、子や孫へ の影響などを考えない狭いものです。現在でも、油症の全被害者を対象とした調査はなく、治療法は確立されていません。
実態にそぐわない認定基準の結果、「七人家族で、認定されたのは三人だけ。未認定の四男(四〇代)は最近、しびれがひどくて仕事を休んだ」(高橋さん) など、家族内でも認定患者と非認定者がいます。約一万四〇〇〇人が被害を届けましたが、認定患者は一九二七人(うち五島市六九七人)にとどまりました。届 け出た人以外にも多くの被害者がいますが、認定された人以外は、何の救済策もなく、放置されています。
被害者を見捨ててはならない
和田文夫医師(福岡・和田整形外科クリニック)は、「腰痛など一般的な症状の訴えでしたが、ほかにも複数の症状があり、カネミ油を摂取したことを踏まえれば、カネミ油症だと診断できると感じました。福岡は患者も多く、医師が知識を身につける必要がある」と話します。
飯田哲夫医師(京都・飯田医院)は、「病の苦しみと加齢、過疎化、経済的な問題など、患者は多くの不安を抱えていました。このままでは見捨てられてしまう」と、危機感をつのらせました。
永尾さんら被害者四八人は、カネミ倉庫を相手取り、あらためて損害賠償訴訟に立ちあがりました。将来に続く油症の被害、ダイオキシンの恐ろしさを世に知らせ、油症問題の解決・救済をめざしています。
カネミ油症とは
1968年に起こった国内最大の食品公害事件。カネミ倉庫が製造・販売した米ぬか食用油に有毒なPCBが混入し、深刻な健康被害が発生した。後に、主原 因はPCBを加熱することで発生するダイオキシン類(PCDF)であることが判明。被害発生後もカネミ倉庫は油を売り続け、国は対策をとらなかったため、 被害が拡大した。カネミ倉庫とともに、国と、PCBを製造した鐘淵化学(現カネカ)の責任も問われている。
(民医連新聞 第1466号 2009年12月21日)
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