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民医連新聞

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水俣大検診1051人 9割に所見 重症も多く 国は根本から“対策”見直せ

 「受診した一〇五一人のうち、九割以上に水俣病の症状」―。二二年ぶりに不知火海沿岸地域(熊本・鹿児島)で行われた水俣病大検 診(九月二〇、二一日)の結果は、かかわった医療関係者が「いまでもこんなに重い症状や被害が残っているなんて」と口をそろえて驚くものでした。国が年齢 や地域で線引きし、水俣病の被害を狭めようとする中、被害の実態が国の線引きとかけ離れて広がり、深刻であることが明らかになりました。(丸山聡子記者)

父は認定患者 もしかして自分も

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は検診会場。は水俣病と認定された人に医療費、慰謝料、手当が支給される地域。
は保健手帳が交付され医療費が助成される地域。重なる地域も。その外でも被害発生

 「私らの世代は、調査をされたこともない。どうして被害がないと言えるのですか」「子どものことも不安です。健康診断を義務化してほしい」。検診を終えた桐生直樹さん(40)=仮名=は、堰を切ったように話し続けました。
 「水俣病」の重荷から逃げるようにこの地を去って二〇年余。説明のつかない体調不良に悩んだすえ、「水俣病なのか、はっきりさせたい」と決意し、帰郷しました。
 桐生さんは現在、関西に妻子と暮らしています。父親は水俣病認定患者でした。
 「父は晩酌のときにいつも魚を食べていました。食卓には、毎日のように魚がありました。私が子どものころ、父は水俣病で働けなくなって…。友だちから 『お前の父さんは、なんで何もしとらんと?』と聞かれて答えられず、苦しかった。息をひそめて暮らしていました」。桐生さんにとって、水俣市は息苦しい街 でした。
 関西に移り住んでからも、出身地を聞かれ、「水俣」と言うと場の空気が凍りつきました。「桐生くんも水俣病なの?」と、急に態度を変えた友人もいました。
 三〇代に入ったころから体調に異変を感じるようになりました。腰痛や足の痛み。ハリ治療やウオーキングをしても、良くなりません。「子どものころから不 器用だと思っていた」手指が、常時細かく震えるようになりました。まっすぐ線が引けず、仕事に支障が出ることも増えました。

救済策がない

 「同世代と比べても自分の体はおかしい」。母親に大検診のことを聞き、受診を決意。診断は「水俣病の疑いあり」。それを聞いたとき、「その通り」と、長年の疑問が解けたように感じました。
 ところが、桐生さんを待っていたのは、「あなたの年代では、医療費の助成などの救済策は何も受けられません」というスタッフの説明でした。「何を言われ たのかわからなかった。水俣病の疑いありという医師の診断があるのに」。

若年層(69年以降生まれ)も発病

 加害企業であるチッソは、三六年間の長期にわたって有毒な有機水銀を不知火海に流し続けまし た。排水を止めたのは、水俣病の公式発見(一九五六年)から一二年後の六八年。国は、翌年以降に生まれた人に「新たな水俣病患者はいない」として、被害を 認めていません。医療費無料などの救済制度はいっさい利用できません。
 しかし、長く水俣病患者を診察してきた高岡滋医師(協立クリニック院長)らは、「六九年以降生まれの人にも明らかに有機水銀の影響がある」と指摘してきました。
 今回の検診で六九年以降生まれは二七人。「神経症状は軽くても、一般の神経所見では説明がつかないような、生活に支障の出る症状がみられた」(高岡医 師)など、あらためて、若年層に症状があることが確認されたのです。
 検診実行委員長の原田正純・熊本学園大学教授は、「水俣病の症状がありながら、いまだ救済されない人が存在することを明らかにした意義は大きい。そもそ も、被害実態の究明は国がやるべきだ。(七月に制定された)特措法そのものの見直しを含め、国に考えてもらいたい」と話しました。
 国の救済策では対応できないほどの被害があることが、検診で明らかになりました。すべての被害者の救済とともに、国による一刻も早い実態調査が求められます。

水俣病大検診

医師ら650人全国から支援

「症状わかった」「診断できる」

指定地域外の救済なし

 一七カ所の検診会場のうち七カ所は救済制度の指定地域ではありません。
 指定地域外の上天草市の会場で診察にあたった三宅徹也医師(大阪・耳原総合病院)も「難聴や歩行困難など、思った以上に症状が重い人が多い」と語ります。
 現役漁師の六〇代の男性は、船の上で繰り返しこむら返りが起こります。「腕から手にかけて反り返り、自分の手じゃないようになる。押さえ込んでもまた起 きる。その日は漁をやめるしかない。月一〇日もそんなときがある。夜は耳鳴りで眠れない」と訴えます。
 同じような症状の人は近所にも多く、「病院に行ってもよくならんと聞き、今まで受診したことはない」と男性。指定地域の漁師仲間から検診のことを聞き、受診しました。
 三宅医師は、「いっしょに漁をして同じように汚染された魚を捕って食べているのに、住んでいる地域で救済されたり、されなかったりする。この線引きはおかしい」と言います。
 八〇代の女性は、近所でネコが狂ったように死んだことを覚えています。亡き夫は漁師。毎日のように魚を食べ、子どもを育てました。「匂いも味もわからん です。味噌も醤油も勘。目も悪くなって、自分の年金の通知も読めん」と言います。全身に感覚がほとんどないと診断されました。

「やはり水俣病だった」

 今回初めて検診を受けたという人が大半でした。その理由として多く聞かれたのが、「家族にチッソ関係者がいたから」というものです。
 田中哲哉さん(55)は、亡き父がチッソに勤めていました。「父が生きている間は気兼ねして水俣病とは言えなかった。父も手足のしびれがひどく、パーキ ンソン病と診断されていたが、水俣病だったのでは」と悔やみます。自身も、眠れないほどの耳鳴りや足の痛みに苦しんでいます。
 就職を機に県外に出て、情報もなく受診する機会がなかった人もいます。福岡県からきた入田紀代子さん(68)は、「若いころは、水俣出身は嫁のもらい手 がないと言われました。新聞で見ても、水俣を出た人間は何の検査も補償も受けられないと思っていた。今回、県外に住んでいる者でも受けられると聞いて受診 しました」と言います。
 以前から、手に電気が走るような痛みがあり、リウマチと診断されていました。しかし、別の病院で「リウマチでは説明がつかない」と言われたことも。検診で「水俣病」と診断され、納得ができました。
 入田さんは、この検診で福岡医療団の医師と出会い水俣病を診る医師を紹介してもらいました。「たびたび水俣に来ることはできず不安でした。近くで診察してくれる医師がいると知り、ほっとしました」。

全国で水俣病救済を

 今回のような大規模検診を二二年ぶりに実施したのは、七つの患者団体の要請があったからです。前回と違うのは、地元開業医の参加や会場の提供があったことです。地元自治体が広報に掲載するなど協力し、受診希望者が広がりました。
 ボランティアで参加したのは医師一四〇人を含む六五〇人のスタッフ。全国から、民医連の看護師・職員が手弁当で駆けつけました。阪神大震災の復興支援以来のとりくみです。
 水俣協立病院名誉院長の藤野糺医師は、「県外からの受診も多い。参加した医師からは『水俣病の症状がよくわかった』と言われた。医療スタッフが地域に戻 り、全国各地で診断・救済ができるようになるといい」と期待を込めます。
  戸倉直美医師(東葛病院)は、「予想以上に明確な症状の人が多く、これが水俣病かと驚いた。当院にも『診断書を書いてほしい』との問い合わせがあり、対応したい」と話します。
 七月、多くの患者の反対を押し切り、「水俣病特措法」が成立。懸念された通り加害企業チッソの分社化のほか、具体的な救済策は決まっていません。今回の 検診を行政として初めて、環境省の椎葉茂樹特殊疾病対策室長が視察しました。国の線引きを超える被害の実態をどう受け止めるのか。対応が問われます。

(民医連新聞 第1462号 2009年10月19日)