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民医連新聞

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9条は宝 私の発言 〈47〉 在日朝鮮人の遺骨守り祖国統一と平和を願う

国平寺(こくへいじ)(東京・東村山市) 尹 碧巖(ユンピョガム)住職

 「日本と朝鮮の不幸な歴史を繰り返さず」「両国間の真の友好親善のために」と活動し、地元9条の会などで講演も行う。国平寺には、BC級戦犯として裁かれた在日朝鮮人の遺骨も眠っている。

 武蔵野の雑木林が残る東京都東村山市に「国平寺(こくへいじ)」はあります。 一九六五年、「祖国が平和になりますように」との願いを込めて、柳宗黙(リュ・ジョンムク)大禅師が開きました。現在の尹碧巖(ユン・ピョガム)住職は三 代目。納骨堂には、在日コリアンの遺骨が供養されています。平和に対する思いを尹住職に聞きました。(丸山聡子記者)

今も続く戦争の悲劇

 二代目を継いだ私の父は、朝鮮半島の海印寺(ヘインサ)の僧でした。現在は韓国で世界遺産となっている由緒ある寺です。しかし、一九一〇年に日本が朝鮮半島を占領して以降、寺に日本人の僧侶が入ったため、父は日本に渡りました。
  朝鮮半島にとって、日本が戦争に負けた一九四五年八月一五日は、日本の支配からの「解放の日」です。しかし、この日を境に、再び朝鮮半島は悲劇に見舞われることにもなりました。
 解放の日からひと月もたたない九月七日には米軍が上陸し、「赤狩り」の名で、三年間のうちに五〇万人の命が奪われました。朝鮮を米国の属国にするためで した。そして戦争が起き、祖国は南北に分断されました。故郷に帰れない遺骨が日本にはたくさんあります。「南北統一の日に、遺骨をもって祖国へ帰る」との 思いで「国平寺」はあります。
 二〇〇〇年に、近くの精神病院で在日の方が八〇歳で亡くなりました。日本軍の兵士だったときに精神を病み、四五年の八月七日に「日本人」として入院しま した。亡くなるまでの五五年間、祖国や家族と連絡をとることもなく、病院で一生を終えました。
 亡くなったあと、韓国に遺族がいることがわかりました。連絡すると、弟たちは遺骨を引き取ることを拒否しました。「日本軍に協力し、朝鮮の人びとを苦しめることに荷担した兄を許せない」というのです。
 日本の占領と、その後の祖国分断によって、今も多くの悲劇が続いています。親族が北朝鮮にいるため、連絡すらとれない遺骨もあります。東京大空襲の犠牲 者のなかにも朝鮮人がおり、少なくとも四〇〇人が無縁仏になっていることがわかりました。
 南北朝鮮は、今でも「戦争状態」にあります。朝鮮戦争は「停戦」のままで、「終戦」ではないからです。戦争が再開する危険は何度もありました。食い止め た力のひとつが、隣の国の日本に憲法九条があったことだと思います。二一世紀の朝鮮半島にも、九条のような理念が必要だと思います。

「いっしょに生きよう」

 人間は長い歴史のなかで、戦争を繰り返してきました。ある意味で、自分が生き残るために人を殺し、儲けるために戦争をしてきたとも言えます。
 しかし、嫌いな人であっても殺さず、ともに生きていく道を選ぶことができるのも人間です。それを示したのが日本国憲法九条です。九条によって、人間は「戦争をせず、平和に生きよう」という世界に踏み出したのです。
 一方で九条を変な形で利用する人もいます。「九条があるから戦争できない。核兵器も持てない。だからアメリカと軍事同盟を結び、核兵器で守ってもらお う」と。しかし、原爆のおかげで戦争が終わったわけではありません。アメリカも含め、「核兵器はなくそう」と言うべきではないでしょうか。
 日本は世界に類を見ない異常な国でもあります。自殺者が年間三万人を超える、という点です。本来「死にたい」人間などいません。お金がない、仕事がない、頼る人がいないなど、生きる希望がないから死を選ぶのです。
 「死んでもいい」人もいません。「いっしょに生きよう」と、希望を保障するのが政治の責任でしょう。
 平和を守るということは、とてつもない努力がいることです。憲法九条があることがすばらしいのではありません。九条を都合よく利用するのではなく、九条 を守り、いかに戦争も殺し合いもせずにともに生きていくか、懸命に考え、行動する人たちの生き方そのものが、尊いのだと思います。

(民医連新聞 第1460号 2009年9月21日)