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民医連新聞

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私たちは被爆体験聞ける最後の世代でなく、伝える最初の世代 2009年 原水爆禁止世界大会青年たちの決意

  原爆投下から六四年目の原水爆禁止世界大会(八月七日~九日・長崎)は七八〇〇人が集まり、世界と日本の核廃絶運動が大きく進展する兆しの中で活気づきま した。兆しのひとつは今年の四月、米国オバマ大統領のプラハ演説。「道義的責任」と核兵器廃絶を公言しました。もうひとつは八月六日の「原爆症認定集団訴 訟の終結に関する確認書」。国が日本被団協と調印しました。(村田洋一記者)

語り部の話に息のむ

 八日に行われた分科会のひとつ「青年の広場―学習・交流と被爆者訪問」。被爆者・「谷口稜曄(すみてる)さんと語り合う」企画には約三〇〇人の青年が集まっていました。
 谷口さんは長崎原爆被災者協議会の会長です。一六歳のときに被爆。背中全体に重度の火傷を負い、肉まで溶けた傷がふさがらず、うつ伏せのまま一年九カ月 もの間生死の境をさまよいました。「死なせて」と訴える地獄の日々の中から奇跡的に回復した、当時の様子を淡たんと語りました。
 青年インタビュアーは福岡医療団(民医連)に勤務する大石千尋さんです。大石さんはこの重い役を引き受ける時に、母と兄から、「曽祖父が被爆し、小倉に いた祖父が父親を探しに長崎へ入市し被爆した」と初めて聞きました。自分自身が被爆三世でした。
 大石さんは「自分の身体の傷跡を見せてまで語り続けるのはなぜか」と質問を投げかけました。
 谷口さんは「自分の身体の傷跡を見てもらって、真実を理解してほしいと思った。私はみんなに原爆のことを知らせるために生かされていると思っている。生 きている限り語り続け、次の世代に伝えたい」と答えました。また「二度とこんなことがあってはならない。日本こそ核兵器廃絶の道を切り拓かなければならな い。訴訟に立ち上がった被爆者の共通の思いです」と訴えました。

認定基準の見直しを

 「六日の調印で総理は渋い顔をしていたが、署名は輝いて見えました」。大会で、熊本原告団事務局長の中山高光さんが報告しました。さらに、「具体的解決はこれからです。現在訴訟中の裁判で勝たなくてはなりません」と言葉を強めました。
 〇三年に始まった集団訴訟で、国は「原因確率」を基準に放射線の被害を「軽く、狭く、小さく」描こうとしました。それに対して、民医連の医師団や弁護団 は「原爆の実相は被爆者自身の体験、生活、身体が訴えている」という立場で支援。一九の裁判で原告がすべて勝利しました。
 確認書は、(1)国は控訴をやめ、一審判決を受け入れて認定する、(2)係争中の原告は一審判決を待つ、(3)一審で認定対象外になった原告を救済するため議員立法で支援基金を創設する、という内容。
 「被爆者を線引きする」認定基準の見直しが今後の協議の大きな課題です。

被爆国日本の決意をNPT再検討会議へ

 大会では、「二〇一〇年のNPT再検討会議へ向けて被爆国日本からの決意を伝えよう」との熱い発言が多数出されました。
 「わたしたちは戦争体験を聞ける最後の世代ではなく、伝えていく最初の世代」「歴史を創るのはわたしたちひとりひとり」。
 全日本民医連も京都が代表してこの間の活動とこれからのとりくみを元気よく報告しました。
 田上富久長崎市長は「長崎市民はオバマ大統領を長崎に呼ぼうという署名運動を始めています。被爆の惨状を実際に見てほしい。市民の活動で核兵器廃絶をがんばろう」と発言しました。
 安斎育郎さん(議長団・立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長)は「人類と核兵器は共存できない。核兵器全面禁止、廃絶に向けて、地域で実践し、地球 規模で行動することが求められている。人類史の岐路に立つ非核の世界へ、勇気をもって行動しよう」と呼びかけました。

(民医連新聞 第1459号 2009年9月7日)