民医連の大切な仲間へ 伝えたかった“いのち”のこと 共同組織活動交流集会in長崎 記念講演
一〇回目の節目となる共同組織活動交流集会を六月二一、二二の両日、長崎市内で開き、共同組織の構成員や職員など全国から一五六〇人が参加し、交流しました。
全体会では、現地実行委員長の植田亘一さん(長崎県健康友の会連絡会会長)が歓迎あいさつ。長崎市の田上富久市長は、「オバマ大統領の核兵器廃絶をめざ す発言で新しい物語が始まった。多くの人が『核兵器はいらない』と声をあげるページをつくろう」と強調。「医療と命を守る地域の活動は、全国で必要。小異 を残して大同に集まりましょう」と語りました。
二日目は、健康づくりや社会保障運動などをテーマにした二一の分科会とセッションが行われました。
肥田(ひだ)舜太郎さん
一九一七年、広島市生まれ。九二歳。医師。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、日本被団協・原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。主な著書に、『ヒロシマを生きのびて』、『内部被曝の脅威』(共著)など
生協の組合員、友の会のみなさんは、民医連の病院や診療所を守って、良い医療ができるようにささえてくれています。私ども民医連で育った人間にとっては、一番大切な方がた。私が一番話したかったのはみなさんです。
何もできない恐怖
戦争末期、私は広島陸軍病院の軍医で、八月六日、往診先の村で被爆しました。その村にもたくさんの人が逃げてきて三万人にもなり、足の踏み場もない状態でした。
一番恐ろしかったのは、六日に広島にいなかった人も、同じように死んでいったことです。熱を出し、目尻と鼻と口から血が出る。口の中は真っ黒で、ひどい 悪臭。そのうち皮膚に紫色の斑点が出る。頭の毛が全部抜ける。こうなると、二時間以内に死ぬ。数千人も、いっせいに死にました。
医者にとって、何もできないことほど苦しいことはない。何が起きているかわからない。どんな医者も経験したことのない恐怖を味わいました。
マッカーサーがやった一番悪いことは、「軍の機密だから、原爆の被害を話すな。診察はいいが、研究するな」と脅したことです。アメリカ占領下の七年間、被爆者は無言で耐えてきました。
患者さんに教えられ
戦後、東京の杉並に民医連の診療所ができ、私も参加しました。軍隊では階級が上の人でも私の前でみな頭を下げたから、偉そうな気になっていました。それが、看護師や患者さんに教えられ、民医連の医者になっていったんです。
例えば、結核の気胸療法がうまくいかず中断してしまった娘さんがいました。心配して看護師が家を訪ねたら、親父に怒鳴られた。「お前のところのヤブ医者のせいで、うちの娘は命が危なかった。東大まで行って診せたんだ。帰ったら、勉強しろと言え」と。
それから毎日のように看護師が「先生、謝りに行こう」と言う。「とても行けるか」と思っていると、ある日往診帰りに連れて行かれて、「先生、謝らなかったら、一生ヤブ医者だよ」と、私は背中をドンと押されました。
しょうがないから、「申し訳なかった。今日は謝りにきました」と言うと、親父が床に手をついて「よく言ってくれた。俺んちは貧乏で、東大なんてとても。これで先生のところにかかれる」。
これが本当の医者と患者との関係なんだと実感させられました。
放射能が原因だ
「広島で原爆の患者を診た医者がいる」と、被爆者が訪ねて来るようになりました。どこの医者に 行っても「病気じゃない」と言われる。でも、急に倦怠感に襲われ、仕事ができない。聞いてみると、共通して「ピカの投下後に広島・長崎に入った」という。 原爆の後遺症だと思いました。
放射線が原因だと知ったのは三〇年前、国連に核実験禁止を要請するためアメリカに渡った時です。実は、原爆を落とした一カ月後にGHQは、「死ぬべき人 は死んだ。生き残った人間は病人ではない」と発表し、日本政府も、それを受け入れていました。だから驚いたことに、国連事務総長ですら、苦しんでいる被爆 者がいることを知りませんでした。
その時アメリカで、低線量被曝の危険性を訴える科学者に出会い、「残留放射能が原因」と教わりました。それからずっとこの問題を調べてきました。
日本を変えていく
今、医療にはたいへんなことが起きています。治療が必要な人が病院にかかれない。一方、必要ないのにそれがわからず受診する。医者もヘトヘトです。
訴えたいのは、民医連の医療機関とみなさんがいっしょに、病気とのたたかい方、医療に対する考え方を根本的に変えていくことです。私は埼玉で、そういう運動をしてきました。みなさんの住む町や村でも変えていけば、日本の医療も変わっていくと思います。
最後に。日本を悪くしている根源はアメリカです。まるで植民地のように軍事基地があり、金も持っていかれる。アメリカの支配に、「それはダメだ」と言っ た首相が一人でもいましたか。情けない国です。アメリカの支配から抜け出して、日本の国民が本当に幸せになるために、いっしょにたたかいましょう。
(民医連新聞 第1456号 2009年7月20日)