9条は宝 私の発言 〈45〉 ノーベル賞の 益川敏英さん 憲法と平和を語る 戦争の道具もつ自衛隊で「国際協力」はない
益川敏英(ますかわとしひで)さん
一九四〇年、愛知県生まれ。京都産業大学教授。京都大学名誉教授。素粒子物理学の「小林・益川理論」で、二〇〇八年ノーベル物理学賞を受賞。「九条科学者 の会」呼びかけ人。『自然の謎と科学のロマン(上)』共著・新日本出版社、『現代の物質観とアインシュタインの夢』岩波科学ライブラリーなど
戦争さなかの体験 もし焼かれていたら…
私は、太平洋戦争が始まる前年、戦争の真っ最中に生まれました。
家は名古屋で、運悪く五〇メートル先に高射砲陣地がありました。大砲で飛行機を撃ち落とすどころか、逆に一万メートル上空を飛ぶB29に標的を教えてい るようなもので、じゅうたん爆撃され周辺はみな燃えてしまいました。
初期のころの焼夷弾(しょういだん)は性能が悪く、日本の瓦葺きの屋根に落ちると、コロコロと滑って道路に落ちて燃える。そのあと出た改良型は小さい八 角形のジュラルミンで、屋根を突き抜け、下まで落ちて火がつく。ペースト状の重油にアルミニウムとマグネシウムが練り込んであって、爆発して壁や柱につい て燃え出します。金属なので高熱を発し、皮膚につくと大やけどしました。
私の家だけ、落ちたのが不発弾だったため燃えませんでした。当時は子どもですから怖さがわかりませんでしたが、あとになって、恐怖がわいた。あのとき燃 えていたら、私の生き方も変わっていたと思います。あんな思いを自分の子どもや孫に絶対させたくない。
戦争は外交で回避可能 膨大な軍備には反対
だから私は、国家が、国家の名でする戦争は嫌です。
クラウゼヴィッツが『戦争論』の中で「戦争は基本的には外交の延長である」と言っています。つまり戦争が始まる前に、国と国の間にトラブルが顕在化し、 前兆が必ずある。ならば、トラブルに対し、国が外交で努力する時間や方向があるはずです。国民の側が、自国の政府を動かして回避する運動も可能だと考えて います。
その意味で、外国からの侵略に備えて膨大な軍備をもつのは反対です。クラウゼヴィッツの言葉を、戦争を抑えるために使うのは、たぶん私が最初だと思います。
もちろん、外交で戦争を阻止することは、生やさしくありません。国同士の紛争には利害がからむので収拾に要する経済的犠牲も膨大でしょう。それでも戦争 するよりはましです。それだけの決意をもって「この戦争はやめよう」という国民の大運動は、価値ある行為だと思います。
憲法九条は機能し戦争を止めている
そして今、憲法九条を変えようという動きが非常に強まっています。「九条の会」ができて、みんなが熱心なのは、それだけ緊張が高まっているからだと思います。
「自衛隊」は「軍隊」でないような顔をしていますが、国防費や装備は世界でも上位です。その自衛隊がソマリアまで出かけるのはインチキだと思います。日 本が本当に国際協力したいなら、そのための組織をつくるべきで、戦争の道具をもった自衛隊で「国際協力」というのはない。「転用」はいけません。自衛隊の 装備にかけるお金の一〇分の一で、強力な海外協力隊ができると思います。
解釈改憲で、自衛隊はハワイでもどこでも行ける。ものすごい装備を持っている。なのに、政府はなぜ九条を変えたいのか? 今の憲法ではできないことがあ るからです。九条がちゃんと機能している。不審船が来たときも結局、自衛隊は撃たなかった。憲法九条が戦争を抑止しています。
私は物理屋ですから、原因と結果みたいな因果律で考える癖があります。改憲のねらいの本質は、やはり兵器を自由に使える状況にしたいからだと思います。
一人の市民として平和まもる役割を
科学というのは中性です。「戦争の科学」と「平和の科学」の区別はないと思っています。
たとえば、七〇年代の初めころ、高層ビルによるテレビのゴースト現象(二重映り)が問題になりました。ある会社が、フェライトという電波を非常によく吸 収する材料を塗料に混ぜて、建物の外壁に塗るとゴーストが減るという高性能な塗料を開発しました。その塗料は八〇年代「見えない戦闘機」の開発に使われま した。だからといって、その技術を開発した研究者を責められるでしょうか。
しかし、その開発者は一番に危険性に気づくでしょう。その先は、科学者でない一市民として、自分の知識をベースに社会の中でどう発言していくのかが問わ れます。だから、その人の良心、市民性をベースにした市民運動が大切なのです。
市民の組織的な運動はいろいろな意味で、九条を守る上でも戦争を抑止する上でも、大事なベースだと思います。継続的に運動していることが大事なんです。
戦争の予兆に理性と想像力で
私もそうですが、研究者というのは、ちょっと時間があったら研究をやりたい。でも「市民としての役割は何か」と問いかけ、自分の時間を割いて、ここに来たり、人に働きかける。科学者の果たせる役割はそれだと思います。
最終的には理性、人間としての想像力です。欠片(かけら)から全体像を想像するのは人間だからできることです。戦争なら、その最初の現れ、予兆を鋭い目 で捉え、その段階で反応するのは、その人が持っている文化度であり、人間としての理性の力だと思います。それを磨くことが必要なんだと思いますね。(九条 科学者の会・発足四周年のつどいでの講演「人類に役立つ科学の発展と平和の確立を願って」三月八日から)
(民医連新聞 第1451号 2009年5月4日)