ゆがんだ生活保護行政を問う 「3年半さまよい 勤医協苫小牧病院で救われた」
生存の最後の砦、生活保護。しかし、どんなに困っていても、働ける年齢であるとか住所がないなどの理由で、申請すら受け付けない 福祉事務所の対応がまかり通っています。この間の「年越し派遣村」などのとりくみが国や自治体をゆさぶり、ゆがんだ生活保護行政を告発、法律通りの運用を 迫っています。ホームレス支援に加わり、無料低額診療を窓口に生活保護申請を支援する民医連の活動も、力を発揮しています。北海道勤医協の苫小牧(とまこ まい)病院を取材しました。(佐久功記者)
最後の砦であり、最初の窓口でありたい
二〇〇八年五月、Aさん(五〇代男性)のつらく長い路上生活はようやく終わりを告げました。勤医協苫小牧病院にたどり着いた時、所持金なし、三日間飲まず食わずでした。
Aさんは北海道出身。茨城県で暮らしていましたが、病気もあって仕事を失い、やがて貯金も尽きて路上生活者となりました。
どうしようもなくなり生活保護の申請に行きましたが、受け付けてもらえません。理由は「若い」から。当時四〇代後半でした。何度も行きましたが、最後には、「もう来るな」と電車賃を渡されました。
隣の自治体に着き、福祉事務所で相談すると、「うちでは無理だから」と、また電車賃を渡されました。さらにその隣でも同じように…。行く当てがなく、少 しずつ、北へ移動し、とうとう生まれ故郷の近くへ。何とか連絡がとれた兄弟からも援助は断られ、苫小牧から茨城行きのフェリーに乗せられました。
戻っても、福祉事務所は相手にしません。その後も仕事や生活保護を求めて各地を訪ねますが、どこも同じ。北関東から東北、北海道と「たらい回し」にされ続けました。
「いっそのこと、車にはねられたら楽になるのに…」。何十回もそう思ったAさん。しかし一方で、「何とかなるだろう」という気持ちだけは捨てずにいました。
そして、北海道のある市でもらったホームレス支援の一覧を頼りに、勤医協苫小牧病院にたどりつきました。三年半の移動距離は、四〇〇〇kmにもなりました。
「お腹すいてるでしょう」
病院では、SWの桜井亨弘さんが対応し、「お腹がすいているでしょう」と職員会議用の弁当を渡 しました。しかし、なかなか食べようとしません。実は、「いま食べると、夜に食べるものがなくなる」からでした。次にいつ食べられるか、そういう状況に長 い間いたAさんの気持ちを察して、もう一つ渡し、その場で食べてもらいました。
翌日、生活保護の申請に。桜井さんが同行したため拒否されず、無事保護決定。Aさんは、いま病気を治療しながら仕事を探す日々を送っています。
無料低額診療も力に
同院では、無料低額診療事業を行っています。今年に入り、毎月五件のペースで新たな利用があります。そのほとんどが生活保護基準以下という困窮ぶりで、生活保護につなげました。自治体や町内会、民生委員、学校、新聞社に事業の存在を知らせ、広めています。
また、昨秋の共同組織の強化月間では、地域の一三〇〇軒以上を訪問して知らせました。その中で生活が苦しくて病院の受診は後回しという人が多いこともわかりました。
同院も参加する「ホームレス自立支援ネット苫小牧」。今年に入って何人も生活保護につなぎ、住居を確保しています。その中の元路上生活者の四人が、互い にささえあう「苫小牧友和会」をつくって学習会や相談活動も行うようになりました。
こうしたとりくみで職員の意識も向上し、さまざまな職種から相談室へ情報が集中されるようになっています。村口一耕事務長は、「民医連は困窮者にとって 〝最後の砦であり最初の窓口〟でありたい。〝窓口〟のとっかかりとして、無料低額診療事業を積極的に活用していきたい」と力強く語りました。
問われる自治体の姿勢
「二度と来ないと一筆書け」「旅行でもしているのか」「ここで死なれたら困る。一〇万円以上の税金がかかる」…。もう生活保護しかないAさんに対し、三年半もの間、どの自治体も手をさしのべず、心ない対応をとりました。
Aさんは、苫小牧市でも一二回も断られていました。実は、苫小牧市は一人につき一〇〇〇円を渡して追い返しています。その予算も、行旅病人の予算として 組んでいます。二〇〇七年度は七二件、七万二〇〇〇円を使い、〇九年度はその倍以上の一七万円の予算を確保しています。
Aさんは言いました。「生活保護の申請はできますと役所は言う。しかし実際に行くと、なぜよそに行かせるのか? どこで聞いても返事はなかった。いまだに分からない。今でも聞きたい」。
法律どおりの運用を
住居なくても申請できる
Aさんのようなたらい回しは、全国各地で起きています。静岡では、住居を失った男性が伊東市に 相談しましたが、「熱海に行け」とJRの切符を渡され、熱海市でも同様の対応をされ、小田原市へとたらい回しされました。また愛知県の市町村では、派遣切 りで住居を失った人が来ても、交通費を渡して「名古屋へ行け」と対応し、県外からも回されてきて、大量に名古屋市に集まったことも明らかになっています。
なぜ、こんなことが? 福祉事務所の対応が大きな原因です。「住居がない」「住民票がない」「うちの自治体では無理」「まだ働ける能力がある」「持ち家 がある」「車がある」「家族がいる」…。とにかく理由をつけて申請書を渡しません。
法律上、申請は必ず受理しなければなりませんが、そもそも申請書を渡さない、「水際作戦」が行われているのです。法の目をかいくぐるやり方ですが、多くの人が知らないことにつけ込んでいます。
全国の派遣村でも成果
全国にインパクトを与えた年越し派遣村。大きな成果は、働ける年齢でも、また住居がなくても今いる場所の役所に申請できる、ということを目に見える形で示したことです。法律通りに運用させたのです。
これを受けて、派遣村のようなとりくみが全国で行われ、申請を受理させています。それと同時に、いろいろな団体が「全国どこでも同様の運用がされるよう通知を出せ」と厚労省に迫りました。
政治家も動きました。日本共産党の仁比聡平参議院議員は政府に対して二度の質問主意書を出し、厚労省から「法通りの運用」という答弁を引き出しました。
そして三月一八日、その答弁の内容も含んだ厚労省の通知「職や住まいを失った方々への支援の徹底について」が出されました。「たらい回し」はしてはなら ないと、はっきり書かれました。また、(1)住居のない人は、その現在地を所管する福祉事務所が申請を受け付けること、(2)働ける能力があっても生活保 護は受給できること、(3)シェルターなどに入れない場合、カプセルホテルなどの宿泊料も保護費から出ること、なども明記されました。
Aさんのような事態をなくすために、この成果を掲げ、国や自治体に働きかけることが必要です。
(民医連新聞 第1451号 2009年5月4日)