年越し派遣村 ボランティア奮闘記 村民ほとんど「保険証ない…」
「年越し派遣村」には、職を失った派遣労働者ら約500人、ボランティア1700人が。東京、埼玉、神奈川など、近県に住む民医 連職員もボランティアに駆けつけました。大企業の「派遣切り」を告発し、被害者を支援。申請した272人全員に生活保護受給を認めさせました。東京民医連 は、急患の受け入れ(代々木・中野共立・大田・東京健生の各病院)や、飲料水の提供や炊き出し用の米とぎなども引き受けました。医療テントには、連日 100人以上が受診。ボランティア参加した職員のレポートです。
即席で診察台とカルテつくり
川俣越治(東京民医連、事務)
いつも集会などで見慣れた日比谷公園。でも、一月二日は違っていました。職と住まいを失った人 たちが朝食待ちする長い列。炊き出しの湯気、テント裏に積まれた支援物資の山…。その光景や雰囲気に「何か覚えがある」と感じました。そう、二〇〇四年。 中越地震の被災地と似ていました。「労働災害」「政治災害」、まさに「被災地」でした。
朝、中野共立病院の西村りえ医師から「仲間の医師と行くつもり」というメールをもらい、四人の医師とともに現地へ向かいました。
さいしょに驚いたのは医療スペースの狭さ。雑然と物が置かれ「どうしよう」と言っている間に「カゼ薬がほしい」という人が。次つぎと対応しているうち、ベテラン医師が来てくれました。
まず医師五人の診療スペースづくり。物品をテント奥に、外に板を渡して机がわりにし、イスも置いて青空健康相談会のようにしました。「後から情報が共有 できるように記録を残そう」と受付板を置き、各医師にはバインダーと紙をカルテ代わりに渡しました。実際この日、三人ほどが数回訪れ、役に立ちました。
そのうち「頭が痛い」「熱っぽくて」と、カゼの症状を訴える人が押し寄せました。中には遠方から歩いて来たため靴擦れがひどい人、長いネットカフェ生活 で蜂窩織炎(ほうかしきえん)になっていた人も。一日で相談は一〇〇人を超えました。
ボランティアに来たベテラン看護師は「阪神や中越地震の時、何かしたいと思ったけど行けなかった。今回は東京で、何か役に立てればと思って…」と話しま した。大手運送会社で働く保健師は「組合の人から聞いて来た。私も一年間の契約社員。こんな事態は絶対おかしい。許せないね」と。元民医連職員という看護 師は「これは人権問題。ボランティアでも意気投合できるのは、さすが民医連ね」と。
ジャンボリー仲間の顔もありました。東葛病院の看護師は「夜勤明け。でも歴史が変わる時に自分も力になりたくて」と話していました。
民医連の医師たちは対応が素早く、入院が必要となれば、すぐにベッドを確保し、救急車を呼び搬送。相談でも「今後はどうするんですか?」「保険証は?」 「生活保護の申請手続きは?」など、質問もさすが。「保険証がない」という人がほとんどでした。
失業の衝撃で記憶を失った人も
大葉清隆(代々木病院、事務長)
代々木病院には、派遣村から五人が受診、うち三人が入院しました。三〇代男性は肺結核で、他院 に転院。別の男性(三〇代)は、失業のショックで記憶を失う「健忘症」になりました。失業後はネットカフェなどで生活していたそうです。男性は一晩入院 し、生活保護集団申請のため、派遣村に戻りました。入院時に「もう生きられない」と泣いた男性は、派遣村に着くと「がんばります」と。
当院からも急きょ、不足した薬品や資材を運ぶなどの対応をしました。
“私たちは看護師です”と掲げ
小泉佳加さん(中野共立病院、看護師)
深夜勤務明けの二日、東葛看護学校時代の先生と友人の三人で派遣村に駆けつけました。年末に先生宅での忘年会で知り、「血圧測定ぐらいならできる」と思ったからです。
当日は血圧計と聴診器、軍手を持って行きました。まず目に飛び込んだのは米や野菜、支援物資の山、そしてボランティアの多さ。受付で「看護師です」と告げると「できることを自分で探してください」と。
医療テントに医師は、まだいませんでした。「症状を聞いて、相談に乗ろう」と、置いてあった紙に「医療班」と書いて腕に巻き、「私たちは看護師です。具 合の悪い方は声をかけて下さい」という即席看板をつくりました。するとすぐ「どこに行けば診てくれるの」と声が。恥ずかしさは消え、看板を高く掲げ、声を 張り上げました。
初めて会った看護師とテントを回りました。電車賃がなく、埼玉から歩いてきた人、とび職の男性(二〇代)は仕事がなくなり、仕事着のまま生活していたそ うです。カゼ薬を配ると「おれも」「こっちにも」と声が途切れず、「腰が痛い」という人にはマッサージしました。七カ月前に解雇され、糖尿病の治療中断し た人は、症状から高血糖と分かり、医師に連絡。救急搬送になりました。
「歩きづらいんだ…」と、声をかけてきた人の靴下を脱がしてガーゼをはがすと、潰瘍(かいよう)ができていました。電気関係の仕事を解雇された五〇代の 男性です。路上生活の寒さをしのぐため、なけなしのお金で湯たんぽを買い、足を暖めていたそうです。糖尿病があり、低温やけどから潰瘍に。ひどく汚れた ガーゼの訳を聞くと「保険証がなく、病院に行けなかった。ガーゼも買えなかった」と…。
いまの社会は、本当に危機的です。「派遣村」を始める人がいて、多くの人の力で、運営されていました。その後、私もニュースを見るようになりました。
派遣村
生活保護申請と適用 成果を各地で広げよう
「派遣村」では、全国生活と健康を守る会連合会(全生連)などが協力し、村民の生活保護の申請を援助。即日~数日で認めさせました。全生連は、その成果を生かそうと呼びかけました。
「住所がない人の申請は受け付けない。稼働年齢の人に申請させない。『扶養調査が必要』と決定を遅らせる」など、不当な運用が問題になっています。これ は生活保護法の趣旨に違反し、全生連などが再三、改善を求めていました。
東京都は一二月二二日に「雇用状況悪化に関する福祉事務所の相談援助体制について」の通知を出し、福祉事務所はこの通知にもとづき決定。これは「特別扱 い」ではなく、法律の適正運用です。全生連は都と以下の内容を確認、生活保護の活用を呼びかけました。
(1)申請時の住所について
居住地がない要保護者は「現在地」を所轄する福祉事務所が実施責任を負う(生活保護法一九条)
(2)保護申請と調査、決定時期
原則、申請から一四日以内に決定。急迫事態時は、速やかに職権で決定する(同一四条、二五条)
(3)稼働能力について
「稼働能力の活用」の基準は、能力の有無、活用の意思、就労の場が得られるか否かにあり、求職が困難な状況では面接で判断する
(4)資産調査について
決定後、資産がわかれば返還を求めることができるので、資産調査が決定を遅らせる理由にならないことを確認
(5)扶養調査について
扶養調査は申請要件ではなく、「扶養義務者と相談しなければ受け付けない」などの対応は、申請権の侵害に当たる恐れがある
(6)住宅の確保について
家が見つからない人は、臨時の居所(民間宿泊所やビジネスホテル、旅館など)の宿泊費を住宅扶助の特別基準を限度に支給する。都は「要保護者の自立促進という趣旨から解釈し、対応」と
(7)緊急小口資金の適用について
三%の利子は高いが、生活保護者にも貸付けられる。運動で金額引き上げや無利子化など、改善させることが大切
(民医連新聞 第1445号 2009年2月2日)