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民医連新聞

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9条は宝 私の発言〈39〉 苦しむ患者さんや仲間の「がんばれ」に応えたい

谷川 智行さん(医師)
 1971年、長崎生まれ。
 香川医科大学卒業後、高松平和病院、代々木病院、中野共立病院などに勤務。東京反核医師の会会員。日本共産党・衆議院選挙比例東京ブロック予定候補。
 著書に『研修医』(新日本出版社、共著)。

 麻生新内閣が発足、総選挙も間近。東京・中野共立病院の谷川智行医師(内科・小児科)は、日本共産党から立候補予定です。「子どもたちを戦争に行かせない」と決意、日々奮闘しています。(聞き手 佐久 功記者)

 私は長崎出身です。八月九日は夏休み中ですが、子どもたちが学校に集まる日と決められています。みんなで黙とうしたり、戦争や原爆の話を聞きました。そういう環境で育ちました。
 一九九三年のIPPNW(核戦争防止国際医師会議)世界大会(メキシコ)に、医学生代表として参加しました。原爆被害を受けた日本が、アメリカといっしょになって核廃絶を妨害していることに強い怒りを感じました。
 憲法九条を意識したのも医学生の時でした。争いごとを話し合いで解決するという考えが、いまでは世界中に広がっています。九条の力は本当にすごく、世界の宝だと誇りに思います。

子どもと平和のため

 最近、また「アメリカといっしょに戦争する国へ」という動きが強まっています。教育基本法を改 悪し、国民投票法もできた。自民・公明党に加え、民主党議員も巻き込んで、憲法を変えようという動きが本格化しており、強い危機感を感じています。保育園 で診察をしている時など、子どもたちの顔をじっと見ていると「この子たちを戦争に行かせるわけにはいかない」という思いが強くなり、ギュッと抱きしめたく なります。「自分たちが、いま本当にがんばらなきゃ」と思います。
 「候補者になる」と決意するのは、とても苦しかったです。医療が壊され、患者さんも現場の仲間たちも苦しめられてきました。「政治を変えなければ」とい う思いはもともと強かったのですが、医師という仕事にやりがいを感じ、一生続けていきたいと思っていましたし、待っている患者さんや仲間がいることもよく 分かっていましたから悩みました。
 その時、患者さんや子どもたちの顔が浮かんできたんです。本当に苦しんでる人たちが「がんばれ」って言ってくれている気がして、「ここで逃げるわけにはいかない」と決意しました。

政治は必ず変えられる

 後期高齢者医療制度の骨格は、二〇〇〇年の健保法改悪時の付帯決議です。共産党以外は賛成しました。共産党は「高齢者の医療を差別することになる。絶対に間違っている」と見抜き、反対。その後も中止・撤廃のため運動を続けてきました。
 最初、共産党の主張は少数で、孤立しているように見えていたかもしれません。しかし、それは国民多数の声になり、野党四党の廃止法案となって参議院で可 決されました。政府も見直しを言わざるを得ないという状況になる。こうやって政治を大きく動かしています。共産党ならではの活動です。
 国民の立場に立ちきって「ダメなものはダメ」と言い、反対するだけでなく、解決のため絶対あきらめず、どんな状況でもたたかい抜ける。企業献金を受け取 らないから、財界・大企業にも堂どうと立ち向かえるし、アメリカにもモノが言える。この党が本当に大きな役割を果たしていると思います。この力を大きくす ることが政治を変えるし、希望をもてる日本をつくる力になると確信をもっています。
 社会保障のたび重なる切り捨ての中で、歯をくいしばってがんばる仲間が全国にいます。「力を合わせれば、政治を変えられる。医療も介護もよくすることが できる。患者さんを守り、職員も元気に希望をもって働ける、そんな日本を必ずつくることができる」と、多くの仲間たちに伝えたいですね。

(民医連新聞 第1437号 2008年10月6日)