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民医連新聞

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相談室日誌 連載268 Aさんを故郷に 松江 美帆

「本人が故郷の沖縄へ帰ることを希望している」と、主治医から連絡があり、大腸がん末期のAさん(五〇代・男性)の沖縄帰郷の転院援助が始まりました。
 Aさんは昨年一〇月に沖縄から出稼ぎに来ていました。受診する二カ月前から体調が悪化、働けなくなりましたが、無保険のためにがまん。当院に緊急入院し た時には重度の貧血と脱水、大腸がんという状態で、生活保護を申請しました。Aさんは医師から病気の告知を受け、不安な気持ちを抱え込んでいました。
 入院から二〇日が経ち、Aさんは「故郷へ帰りたい」と話しました。沖縄へは空路です。病状は進行し、長時間の座位保持も難しい状態。さまざまな調整が必 要でした。大きな問題は二つ、身体的に飛行機に乗れるか、飛行機代をどうするかでした。
 航空会社と持込み医療機器や座席の確認を何度も行いました。飛行機代は、Aさんと家族、付き添う医師と看護師の費用が必要です。Aさんにも沖縄の家族に も金銭的な余裕はありません。保護係に生活保護からの移送費支給を相談すると、「上司と相談する」と渋い返事でした。
 それから数週間後、結果は不可でした。理由は「前例がなく認めたことがない。最近、移送費の事件があい次ぎ、国の支給が厳重になった」と。しかし、Aさんの想いの実現には、移送費を認めてもらうことしかありません。
 飛行機の移動は緊急時を考え、医師と看護師の付き添いが必要という判断でしたが、主治医に費用負担の問題を相談し、付き添いは医師一人でよいと許可を得 ました。Aさんと医師の飛行機代を再度航空会社に確認し、保護係に申請。何度も交渉し、ようやく移送費支給を認めてもらいました。
 そして五日後、Aさんは無事、沖縄の緩和ケア病棟のある病院に転院しました。
 今回、Aさんに寄り添い、関係機関と交渉する中で、ソーシャルワーカーの役割の重要性を強く感じました。また生活保護制度の大切さをあらためて感じました。
 今後も制度を必要に応じて役立てていけるよう働きかけを継続していきます。

(民医連新聞 第1435号 2008年9月1日)

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