記者の駆け歩きレポート(21) 佐賀・多久生協クリニック 先輩から引き継がれる 地道な民医連活動に誇り
「いなかの小さな診療所」だからこそ「民医連らしく」と、地域に根ざし「医療だけではないサポート」を掲げている診療所があります。住民とご近所さんとしてつきあい、自然な関係をつくっている職員たちを訪ねて、多久生協クリニックに行きました。(横山 健記者)
佐賀県多久市、かつて炭鉱で栄えました。しかし一九六〇年代以降は閉山が続き、労働者や若者は町を離れ、人口も二万二〇〇〇人まで半減、高齢化しました。多久生協クリニックには高齢で独居、炭鉱や窯業でのじん肺や振動病の患者さんが多く通院します。
都市部だけではなく、いなかでも、国保料を滞納し、短期保険証の交付や資格証明書の発行が増えています。クリニックでは、経済的困難を抱える患者さんな どを見逃さないよう月一回、慢性疾患会議の中で「気になる患者さん」を話し合い、電話やハガキ、訪問を行っています。
三栖一秀事務長は「最近、市は滞納世帯から国保証を一律に取り上げています。経済的に苦しい患者さんは、相談の前に受診しなくなる」と話します。
困難な患者によりそって
脳梗塞後のAさん(七〇代・女性)が受診せず、電話も不通だったため、職員が訪ねました。Aさんは「保険証がなくて」と悲しそうに話しました。
息子と孫の五人家族のAさん。借金の返済もあり、生活はAさんの年金(月四万円)が頼りでした。愛野浩生所長は「いつ再発してもおかしくない」と、すぐ に診断書を発行。職員がAさんといっしょに市役所に。「数万円でも支払いを」と渋る市に事情を説明し、短期証を発行させ、保険料の軽減措置まで手続きしま した。
先天性障害のあるBさん(七〇代・女性)は家族から疎まれ、極度の人間不信でした。看護師の中山きり子さんは三年間、訪問を続け、Bさんの話を傾聴し「デイケアに来んね」と誘い続けました。
少しずつ心を開いたBさんはクリニックの長寿会に来て、友だちもできました。Bさんからやっと「楽しい」という言葉。笑顔も見られるようになりました。
Bさんは亡くなる前、「クリニックで自由に使って」と、コツコツと何十年も貯めた一〇〇万円を愛野医師に託しました。
近所づきあいのように
高齢患者さんの代わりに看護師が昼休みに買い物に行ったり、ゴミだらけの家の片づけを職員総出でやったり。そういう支援が当たり前のようです。
職員の高いモチベーションの理由は何でしょうか。「困っている患者さんを助けたいという思い」と「先輩から引き継ぐ多久生協スタイル」と、愛野医師と橋本真理子看護師長は口を揃えました。
橋本師長は「診察の前、看護師は血圧を測りながら近況を聞き、変化を逃さないようにしています」。愛野医師は「班会や訪問も先輩看護師のがんばりを見て いるうちに、その大切さがわかっていく。病気は生活や仕事と深く関係するので、患者さんの生活を知ることは、治療や看護に活きます。『いなかの小さなクリ ニックだからこそ』かもしれませんが、職員たちは『少しでも地域の役に立ちたい』と、がんばっています」。
理想は「何かあったら生協クリニックに行ってみらんね」と言ってもらえる診療所になること。三栖事務長は「もっとかかりやすくするため、建て替えたい」 と希望を語ります。築四〇年の古い医院を買い取って診療を続けてきましたが、底が抜けるため立ち入り禁止の部屋があるほどです。
愛野医師は「派手さはありませんが、民医連らしい活動を地道にやっていきたい」と、ご近所づきあいのような診療所を誇りにしています。
(民医連新聞 第1425号 2008年4月7日)
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