“核兵器は廃絶できる” 「反核医師のつどい」が結成20周年
一九八七年、核兵器の廃絶をめざして医師・医学者が、第一回「核戦争に反対し核兵器の廃絶を求める医師・医学者のつどい(以下、 「つどい」)」を開催。それから二〇年、各県に「会」が結成され、ほぼ毎年「つどい」を開いています。今年も全国から多くの医師らが集まりました。
第一八回「つどい」は九月二三~二四日、京都・立命館大学で行われました。参加者は約二七〇人。若手医師が多く、医学生も三〇人を超えました。
基調報告は常任世話人の原和人医師(全日本民医連副会長)。原医師は「アメリカは新たな核戦略の拠点に日本を組み入れようとしている。私たちは、二〇一 〇年の核不拡散防止条約(NPT)再検討会議に向け、国民の間に運動を広げよう」と呼びかけました。
学ぶ機会を増やして
五人の医師が活動報告。
青木克明医師(広島共立病院)は、原爆認定訴訟について「政府は敗訴が続く中で、原爆後障害症治療指針を廃止し、医師意見書の書き方を難しくした。また 認定審査で肝機能障害をほとんど却下するなど、反撃に出ている」と現状報告。
村上純一医師(京都民医連中央病院)は、昨年六月にカナダ・バンクーバーで開かれた「世界平和フォーラム」に参加。その経験を各地で講演しています。村 上医師は「仕事に埋もれがちになるが、講演活動が平和を考えるいい機会になっている。若手医師にもっと平和を学ぶ機会を与えてほしい」と訴えました。
記念講演は、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)オーストラリア代表のティルマン・ラフさん。オーストラリアの「国際核兵器廃止活動(I CAN)運動」について話しました(別項)。
市民50人も参加
二日目は、二〇周年を記念して市民公開シンポジウムを開きました。テーマは「東アジアの非核、安全保障と日本国憲法」。参加者のほか、五〇人以上の市民がそれぞれの発表に聞き入り、質問しました。
四人のパネラーは、それぞれの研究から「東アジアの非核化のためには、日本が率先して反核平和を掲げなければ」など、語り合いました。
参加した群馬大学一年生の奥野開斗さんは「核兵器の問題は、歴史認識や冷戦、政治を抜きにしては語れない問題だと分かった。核廃絶できる、という大きな道筋を与えてもらった」と感想をのべました。
「I CAN運動」のパートナーに
ラフ代表が記念講演
I CAN:International Campaign to Ablish Nuclear Weapons
二〇世紀は、戦争で二億人が犠牲になりました。その八〇%以上の人は民間人です。最初の核兵器から六〇年で、その破壊力はますます強力になっています。
私は医者として、親として、病気を防ぎ、子どもたちに平和な未来を渡す責任があります。核兵器を使えば、何千万人が犠牲になるだけではなく、気候変動が起こり、何十億人が食糧難に見舞われます。
経済的に見ると、世界の軍事費は一兆四二〇〇億ドル。その二〇%の費用で地球上の飢餓は解消され、平和な世界にすることができます。とても安上がりです。
核戦争になる前に
危険なのはアメリカです。この一〇年間で核実験禁止や対人地雷禁止など、いくつもの国際条約を破棄・脱退しました。また先制攻撃で核兵器を使うと宣言しています。
核兵器は小型化し、テロリストの手に入る恐れが出てきました。原子力発電所や病院のアイソトープも狙われるかもしれません。テロリストが核兵器を手にすれば、核戦争や深刻な事態になります。
そうなる前に私たちは世界に蔓延(まんえん)している「核は必要」神話を崩し、廃絶しなければなりません。ほかに選択肢はありません。
核兵器は廃絶できます。二〇年前に六万発だった核兵器は二万発まで削減されました。南アフリカやカザフスタン、ベラルーシは核をすべて廃棄しました。化 学兵器や生物兵器を禁止する条約など、廃絶に向けた経験も培(つちか)ってきました。
核廃絶は一組織ではできません。世界中の人びとが連帯し、各国政府に圧力をかけることが必要です。
いっしょに「I CAN運動」を広げるパートナーになってください。
(民医連新聞 第1415号 2007年11月5日)