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民医連新聞

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記者の駆け歩きレポート(17) 北海道・黒松内診療所 ふるさとを守りたい 町で唯一の療養ベッド 高齢者の共同住宅に

 TBS「噂の! 東京マガジン」(七月一日)が放映した、北海道・黒松内診療所。今年三月、やむなく一四床あった入院ベッドを閉じ、無床診療所になりました。六月、病床ス ペースは九人の共同住宅として再スタート。経営を成り立たせ、行き場のない患者を守ろうと、知恵を絞る職員の奮闘と思いを取材しました。 (川村淳二記 者)

 診療所の二階が共同住宅「ふきのとう」。現在、入居者は七人、介護度三~五の人もいます。あと二人が入居予定です。
 昼食どき、ヘルパーの坂本千鶴子さんが食事をテーブルに並べていました。坂本さんは三月まで病棟の調理師でした。四~五月に札幌まで通い、ヘルパー二級 の資格を取得。今は入居者の介護と食事サービスに従事しています。「今までと全然ちがう仕事で、まだ一日一日が勉強です」と坂本さん。
 二人の調理師が職種転換を決意したのは、「ヘルパーなら経験を生かし地域に貢献できる」との思いからでした。

限りなく入院に近く

 同診療所の病床は、常に満床状態でしたが、〇五年度は約三五〇〇万円の赤字。〇六年には在宅支援診療所を届け出て、経営改善をはかりましたが、赤字は解消しません。診療所で入院ベッドをもつことは経営的に困難となりました。
 ベッド閉鎖で一番困るのは入院中の高齢者です。寝たきり、ターミナル、認知症、障害者など。みんな一人暮らしで、年金は月五~六万円。診療所を頼りにしている人ばかりでした。
 「入院に代わる入居施設は?」と職員は様ざまな福祉施設を見学、検討を重ねました。激論の末たどり着いた結論が共同住宅でした。入居費は生活保護費で払 える六万円に抑え、入居者に往診や訪問看護・介護、食事サービスを提供して、限りなく「入院」に近づけるプランです。

新法人に移籍して

 北海道勤医協全体の経営も厳しくなっていました。経営を立て直し、介護事業に本格的に力を入れ るため、(株)北海道勤労者在宅医療福祉協会をつくり、訪問看護など在宅部門を移すことになりました。共同住宅の運営はその新法人が担うことになり、地元 職員は全員が移籍。事務長と看護師は北海道勤医協に出向する形で、一階の診療所で働いています。所長医師は、体制の厳しい中、勤医協中央病院から二カ月交 代で赴任し、町の救急当番も引き受けています。
 こんな大転換を可能にしたのは「この地で六〇年の歴史を持つ民医連の火を消したくない」という職員の気持ち。診療所は六月から黒字になりました。

なごやかな生活

 「血圧が高いらしいけど大丈夫かな」。午後になると、高梨節二所長と三本木美智恵看護師長が、二階に上って来ました。入居者の往診です。
 「はじめは、入居者はナースコールできないし、私たちも『呼ばれないのに行っちゃダメかな』と迷ったり、違和感がありました。でも今は、私たちも入居者 も慣れ、なごやかな生活の場をつくっています」と三本木さん。入院していた時は寝たきり状態だった人が、話や体操に加わるなど変化が生まれています。入居 者同士のふれあいの効果かも知れません。
 入居者の一人は看護師で、元は職員でした。退職後ここに移り住み、ボランティアをしています。夜の見回りなどを引き受けてくれ、安心感をささえています。

厳しさに負けない

 テレビ出演後、行政から視察がきます。羅臼(らうす)町は町立病院が院長一人になり無床化するしかなく、「うちも入院施設をなんとか残したい」と訪れました。
 「北海道の医療はどこも厳しい」と岩澤史朗事務長は厳しい表情になりました。
 黒松内町は、北海道・渡島半島の付け根に位置する人口約三五〇〇人の農業のまちです。医療機関は黒松内診療所のほかは歯科診療所が一つと町立国保病院が あるだけ。そこも医師が二人になり、四〇床のうち一〇床しか稼働できない状況です。
 町にとっても医療の確保は大きな課題です。黒松内診療所に救急当番の費用として月二〇万円と、共同住宅に改修費用の三分の一(五〇〇万円)を出してくれることになりました。
 岩澤事務長は、北海道ですすむ医療崩壊に憤りながらも、「ヘルパーステーションに実力をつけ在宅にも展開したい。ゆくゆくは、診療所の近くの独居の人に 住宅を借りて、小規模多機能の施設をつくりたい」と、次の展開を描いています。

(民医連新聞 第1413号 2007年10月1日)