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民医連新聞

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相談室日誌 連載247 地域の力が1人の命を救った! 川合 優

「この腕時計を売って、その金が無くなった時が、私の人生の幕引きと思っていた」。Aさん(五〇代・男性)が当院に初めて来院した時に話した言葉です。
 Aさんは長年勤めてきた運送会社に突然解雇され、貯金でやりくりしながら、新しい仕事を探しました。しかし、年齢的に次の仕事は見つからず、生活してい けなくなりました。わらにもすがる思いで生活保護の申請に行き、事情を必死に説明しましたが、働ける年齢であることを理由に申請を受付けてもらえませんで した。家賃も払えなくなり、アパートを出て車中生活を始めました。 
 まともな食事も取れず体力も衰え、途方にくれたAさんは、死ぬことしか考えられなくなりました。山奥に行き、縄をつるして自殺する決意は固まっていたそうです。
 そんな時、Aさんの前に現れたのは町会長さんでした。Aさんが車中生活をしていた場所がたまたま子どもたちの通学路で、保護者の間で「通学路に不審者が いる」と噂になり、町会長さんに連絡が入ったのでした。町会長さんはAさんの事情を親身になって聞き、「Aさんを何とか救おう」と、知り合いだった友の会 の会長さんに連絡しました。そして、その友の会の会長さんの勧めで、Aさんは城北病院に足を運んだのでした。
 Aさんはこれまでの事情と、自殺を考えていたことなど、涙を流しながら話しました。 Aさんは診察の結果、入院治療が必要でした。入院と同時に生活保護 を申請したところ、入院中に受給が決定し、Aさんはアパートを借りて退院しました。生きる希望を見いだしたAさんに、笑顔が戻りました。現在、一生懸命仕 事を探しています。
 Aさんの命を救ったのは、まぎれもなく地域の力・ネットワークです。孤独死や虐待などを防ぐ上で、一人ひとりの高いアンテナと、それを繋ぐ地域のネットワークが重要な役割を果たせるものだと実感しました。
 しかし本来は、生活に困窮したAさんが最初に生活保護申請に行った時点で、保護が適用されるべきです。最近も北九州市で餓死事件が起きました。この死亡 事件を教訓に、新たな人権侵害が起こらないよう、生活保護行政の改善に向けてとりくんでいきます。

(民医連新聞 第1412号 2007年9月17日)