2007原水爆禁止世界大会 「原爆は長崎を最後に」
【長崎発】二〇〇七世界大会(長崎・八月六~八日)は約七五〇〇人が参加し「原爆は長崎を最後に」のアピールを発信しました。
長崎民医連も大会に向けて奮闘しました。「あみの目平和行進(二一回目)」に始まり、「二一万羽おりづるプロジェクト」では、全職員、患者・利用者様の協力で一万羽超の折り鶴を会場へ届けました。
被爆体験を聞く企画に当院の患者様に語り部をお願いしました。依頼の中で、被爆だけでなく戦争体験を聴くことができました。語り部になった患者さんたち は「青年が熱心に聞いてくれた。病院でも自然にできたらいいね」と話しました。
被爆者山口仙二さんのメッセージ
山口仙二さんの話も聴きました。数年前まで被爆者の代表として世界大会でも力強く発言していた 人です。最近は体調を崩し雲(うん)仙(ぜん)市の老人ホームにいます。ぜひ会いに行こうと決め、七月に企画し七人で訪問しました。山口さんは横になって のインタビューで、主に戦後の被爆者運動について語り、自著『灼かれてもなお』を示し、「継続が大事」「世界大会を成功させる」「歴史を勉強する」を強調 しました。「信念は学ぶことですね」という問いに深くうなずきました。
八日に「民医連参加者交流集会」が開かれ、約四七〇人がつどいました。山口さんを訪問したときの映像をこの集会で発表しました。
ふくし村の介護福祉士・河野敏教さんは、各地の職員や医学生との出会い、長崎のアーティスト故・槙健一さんの曲「リボン」をラストで全員が合唱したことの感動をのべています。
八月九日の閉会集会後の「長崎民医連終結集会」には、今年も参加者のほとんど、約一〇〇人が集まりました。上戸町病院の古賀麻由さんは「被爆地以外の人 たちの運動の広がりを知り、長崎の若者は平和運動をしなきゃ! と心動かされた」と発言しました。
世界大会は参加することとともに開催までの「過程」も大切です。仲間の熱心な表情に出会え、普段の仕事のときも平和のことを話しやすくなりました。
(川尻瑠美、上戸町病院)
(民医連新聞 第1410号 2007年8月20日)