医師の戦争責任今こそ問いたい 15年戦争への加担の実態と責任 日本医学会総会で展示とシンポ
日中戦争当時、日本の医師・医学者が、中国人などをつかって生体解剖・人体実験をくり返しま した。『悪魔の飽食』で知られた七三一部隊のほか、占領地の陸軍病院や九州大学でも行われ、全容は明らかでありません。戦後、彼らはその実験データをアメ リカに渡し、罪を免れました。そしてデータをもとに論文を書いたり、製薬企業をつくり血液製剤で薬害を発生させた者もいます。ドイツの医師会がナチスへの 協力について徹底的に反省したのに比べ、日本の医学界の反省はあいまい。これに疑問をもつ医師たちが、日本医学会総会(三月三一日~四月八日)会場で「戦 争と医学」展を開催しました。「日本がまた軍隊を持てば、同じ罪をくり返しかねない。当時の医師はなぜ、倫理観と良心を失ったか? 考えよう」と呼びかけ ました。(横山 健記者)
反省を倫理の原点にすべき
「戦争と医学」展を医学会総会で開こう。「一五年戦争と日本の医学医療研究会」をはじめ保団連、民医連などの医師・医学者たちが実行委員会をつくりました。
戦後六〇年目、総会が「生命と医療の原点」をテーマにするなら、「戦争」との関連を問うことが欠かせないからです。
「日本の医学界や医師会は、戦争加担について、真摯に反省し教訓を得るとりくみをしていない。六〇年間ほぼ皆無といえる。残虐行為を明らかにする資料が 焼却、隠匿され、GHQは関与した医師の戦争犯罪や医の倫理を不問にした。しかし、済んだこと、タブーにしてはならない」。この思いを趣意書にしました。
日本医学会の総会責任者と何度も交渉した結果、「企業ブース会場に展示。独自企画として案内する」ことになりました。
医学会総会展示ブースでは、七三一部隊の加害を追ったドキュメンタリー番組を放映し、別会場で「戦争と医学」パネル展を、最終日に国際シンポジウムを開きました。
「私も生体解剖した」
「戦争と医の倫理」国際シンポジウムには全国から二五〇人が集まりました。
西山勝夫実行委員長(滋賀医科大学教授)は、「日本医学会が戦争加担・残虐行為を認め、公式に組織的に向き合うことを求める」と主旨を説明しました。
シンポジウムでは三人が発言。中国の「七三一部隊罪証陳列館」館長の王鵬氏が「人体実験は四〇種類にのぼり、生体解剖もしていた。撤退する時には四〇四人の拘禁者を全員殺した」と発言しました。
アメリカの生命倫理研究者、ダニエル・ウィクラー氏は「アメリカは人体実験の情報がほしかった。道徳的なジレンマは一切なかった。その時、アメリカは日本医学会と同じ罪を背負った」と話しました。
「一五年戦争と日本の医学医療研究会」の莇昭三医師(全日本民医連名誉会長)は「日本医師会は、世界医師会に加盟するため、一九四九年に戦争責任につい て謝罪文を出した。しかし、その文書は第三者的で、謝罪の姿勢がまったくない。薬害エイズ・薬害肝炎を起こした企業は七三一部隊の出身者が創業し、開発に も関与した。彼らの戦争責任を免罪した結果、彼らは再び罪をおかした」と。過去と率直に向きあい反省することの大切さを訴えました。
七三一部隊にいた人が会場から発言しました。「一日二~三人を解剖した。いやだったが、だんだん気にならなくなってきた」と体験を語り「被害者のために事実を明らかにする」と覚悟をのべました。
まとめでは、今後も国内外でパネル展を開き、医学会総会に引き続き働きかけようと提起しました。
加担しない信念を
副実行委員長を勤めた 池田信明医師(大阪民医連会長)
戦争中の上からの命令とはいえ、残虐行為を行ったのは普通の医師でした。
日本が「戦争する国」に傾いている今こそ、過去の問題や歴史認識をもう一度見直すことが大切だと思います。私たち医療者自身が「二度と戦争には加担しない」という確固たる信念を持たなければならないのです。
今回、私たちに与えられたブースは、トイレの前の小さなスペースでした。この問題に対する扱いと総会責任者の姿勢を示しているように感じました。
でも、四年後、八年後には、総会自身がこういう企画をするくらいにしたいものです。初めての企画で、新しい一歩を踏み出したと思います。
(民医連新聞 第1403号 2007年5月7日)
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