記者の駆け歩きレポート(9) まちの活性化をめざし病院・住宅・商店が一つに 山形・健友会 本間病院
地方都市の多くは、人口流出や長期不況からの脱却が課題です。その中で、山形県酒田市と地元商店街、健友会・本間病院(一五四 床)が協力してすすめた「医療・福祉を中核にした地域再開発」は、全国的にもめずらしく注目を浴びています。昨年すべて完成した中町サンタウンには県内外 の自治体などが見学に訪れています。
(横山 健記者)
二〇〇四年一一月に病院・老健ひだまり(一〇〇床)が完成。〇六年三月にのぞみ診療所や残りの 部分も完成しました。マンションは「病院がすぐ下あり安心。市役所やデパート、銀行も近い」と、完成と同時に完売。一階部分には「酒田市交流ひろば」と店 舗、アスレチックジム、幼児が遊べる部屋、二~六階には駐車場があります。車で来た子ども連れの客に便利です。病院の職員やマンション住人、見舞いに来た 人なども店を利用します。施設の拡大で雇用が増やせ、工事を地元業者に発注してもらうことで、経済効果もありました。人やモノが動きはじめ、街に活気が戻 りはじめました。
地域主体のまちづくり
酒田市の中心部は、一九七六年の大火で一気に人口が流出し、商店街もシャッター通りに。行政は再開発事業を模索しましたが、バブル崩壊の影響などもあり、一〇年以上すすみませんでした。
一方の本間病院は、老朽化のため、郊外へ移転し、建て替えることを議論していました。まちでは「本間病院まで移転したらいっそうさびれてしまう」と問題 に。住民や商店主は「酒田中町づくり期成会」をつくり、本間病院や行政とまちづくり構想を練りました。そして「安心して住めるまちづくり」のため、商店や 病院・行政が一体になろうと合意しました。市長が本間病院を訪問、策定された「再開発事業」計画を酒田市議会は、全会一致で決定しました。
幹部医師が先頭に立って
この事業では、健友会も大きな責任を負うことになりました。再開発組合理事長に健友会の理事長・中島良明医師が選ばれました。
建設の手続きや地権者との合意は、商店街や行政の協力でスムーズに。問題は建て替え費用でした。協力債や基金を職員や友の会員さんに募りました。当初の二年間で集まったのは一億円。目標六億円には遠くおよびません。
幹部医師たちは「責任がある。やらなければ」と、積極的に診察室で友の会入会と基金への協力を呼びかけました。「日中は忙しい」という医師も、朝の仕事 が始まる前に会員さん宅を訪問し、協力を訴えました。医師たちのがんばりに職員も励まされ、奮闘しました。
大きな運動になり、一年間で五億円が集まり、約五〇〇〇人だった友の会会員は七〇〇〇人近くに増え、目標は達成しました。
地域医療が認められた
高山常務はこの五年間を「昔は『民医連の病院なんて…』と言われましたが、住民や行政にも五〇 年間つづけてきた地域医療が認められていたと確信しました」と、ふり返りました。中島医師も「職員や友の会のみなさんも力を尽くし、基金に協力してくれ た。医師退職や看護師確保の問題はあるが、設備は充実し、環境整備は整った」と、再開発組合理事長の任が二月で終了することになり、安堵の表情を浮かべま した。
(民医連新聞 第1397号 2007年2月5日)