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民医連新聞

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作家 田辺聖子さんインタビュー ドラマ 芋たこなんきん どんな人にも良い面が―人への興味忘れずに

 作家の田辺聖子さんにお話をうかがいました。大阪弁で紡がれる恋愛小説にときめき、エッセイに吹き出し、家族や戦争を描いた自伝 的小説に涙した人は多いはず。しかも今、連続テレビ小説「芋たこなんきん」で半生が放送中。パートナーはお医者さん。作品の柔らかであたたかな空気はどん な人が生み出しているの?(木下直子記者)

…ドラマが楽しみです。売れっ子作家の
結婚相手は五人の子持ちの開業医、大家
族の泣き笑いをみて出勤しています。

田辺*三六歳の時に結婚しました。「大人数の所にいってご苦労なさった」とか「なさぬ仲の子どもを四人も」(ドラマでは子どもが一人多い)っていわれるけど、大家族に育ったから、慣れてました。それぞれ性格違うから、怒ることも笑うことも多くって、面白かった。

…作家として四八年、著書は二五〇冊を
超えました。どんな少女時代を?

田辺*小 さいときから本が大好きで、本読んでると、なんぼ呼んでも返事せえへん、いう子やったの。耳元で「セイちゃん!」て呼ばれて、ハッとする。「アホかこの子 は」って叱られて。若い叔父の持ってたオトナの雑誌に夢中で。髪振り乱して逃げる女の人を刀持った侍が追いかけてる、挿絵つき時代小説とかが載っているの ね。そやから「こんなモン読んだらあかん!」ってよけに叱られる。戦前の雑誌は総ルビだから小学生でも読めたのね。
 女学生のころに『少女の友』や、母や叔母たちの雑誌で、吉屋信子さんなどの女流作家の小説を読み、「こんなお話書く人になりたい」と思いました。小説を 書いては、学校の友だちに見せました。軍国少女やから『最後の一人まで』というような話で。登場人物は「りりしい少年兵士」こればっかり(笑)。「もっと 女の子出して」と注文されたり「次は私に読ませて」なんて言われて楽しかった。まわりの人に書かせてもらったのね。

…恋愛小説の主人公が魅力的です。どこにでもいる普通の人、それも中年の独身女性(ハイミス)が多いですね。読んでいると、お話の中の人やのに、まるですぐそばにいる誰かのようです。

田辺*昔 書いた恋愛小説に、いまの若い子が抵抗なく感情移入して、年取っても年代が違っても恋愛は変わらない、と言われると嬉しいです。 芥川賞をいただいて五、 六年、それに合うようなむつかしい小説を書いたけど、自分はちっともおもしろくなかった。そのころたくさん創刊された小説雑誌から「若い世代向けに書いて みませんか?」と言ってきたの。それで、自分が読みたいと思う恋愛小説をいっぱい書きました。
 「三〇代で独り身で働いている女の子」を主人公にしたのは、それぐらいになれば世の中もみて、自分なりの考えがもてると思ったから。
 それにそのころ「三〇代で働く女性たち」は、戦争という時代の回り合わせで独身でした。終戦を二〇歳過ぎで迎えた人たちは、かわいそうだった。結婚すべ き年齢の男の人たちは、戦死しちゃってほとんどいなかったの。そういうのを見ていて、ハイミスだって恋はするし、夢も希望もある。「戦争の犠牲者」なん て、難しいことは言わないけど、そういう人たちの気持ちを書きたかった。

…普通の女の子の戦中戦後を描いた自伝
的な小説も出されていますね。

田辺*う ちの写真館で働いていた若い人たちや、叔父が戦争に連れて行かれて、叔母たちは結婚し、櫛の歯をひくように人が散じてしまった。おじいちゃんも死んじゃっ て、二〇人はいた大家族が両親と私たち三人兄弟だけ。がらーんと寂しい家になりました。それからまたたいへん。六月の大阪大空襲で家が焼かれ、父は昭和二 〇年暮れに亡くなりました。精神的ショックでしょう。四四歳でした。まだ若いのね。もっと若ければ、戦争に連れて行かれていたかもしれないですけどね。
 戦後は母が一生懸命働いて、なんとか兄弟みな学校出て。私も家事をするようになり、これがまた好きになるんよね。料理もいろいろ挑戦して。

…そういえば、先生の小説は、お腹減ります。ハリハリ鍋や、よく煮込んだシチューなんかのお料理がおいしそうで。

田辺*そうよ「読者のお腹、空かしたろ」って思って書くもの(笑)。
 そうそう、若い女の子には、お料理を楽しむのと同じように、人への興味を持ってほしい。「けったいな人」や「風変わりな人」やと思う人も、いろんな経験 を積んでそうなるに至ったのね。じっくりつきあい、観察してると「この人はこの人で一生懸命なんやな、いいとこあるやんか」って見つかる。何かの拍子に、 新しい一面を発見して「そうか」と、思っていると、相手もきっとこちらの何かを発見しています。
 それは男性に対しても同じです。

…人間の良さや優しさをキャッチするアンテナをお持ちですよね。阪神・淡路大震災の体験記『ナンギやけれど』を、電車の中で読んで、涙が出て困りました。
 「自分だけが助かろう、というのではなく、みんなで手をさしのべあって生きてゆく思想を、私たちは育てなければいけない」と。被災地支援に入った人たちの姿をさして、「人間の原型はここにある」と語られた。「ほんとうにそうやな」と、心から思いました。

田辺*被災地では、「おに ぎりあります」と、書いた紙を背中に張って歩いていた人を何人も見たわ。知り合いはいないけれど、ちょっとでも役に立てれば、と来た人たちです。誰かが始 めたのを真似したんでしょう。食べ物や飲み水、新しい肌着なんかを持って、交通も寸断されて入りにくい中、知り合いもない神戸へ向かった人たちがたくさん いたんです。
 ほんとに「人みな優しかりき」や。


 

1928年 大阪・福島の田邊写真館の長女として生まれる。樟蔭女子専門学校国文科卒。1964年『感傷旅行』で芥川賞受賞。作家生活48年。著作は250冊を超え、『田辺聖子全集』(集英社)が完結。女流文学賞、吉川英治文学賞、菊池寛賞、泉鏡花文学賞など多数受賞。


 

記者の取材メモ
 関西人の東京暮らしを慰めてくれるのが、大阪弁の田辺聖子さんの本。
 古典文学の現代語訳も多く、現代の私たちが、千数百年前のお姫サンたちと同じ物語でドキドキできるのも田辺さんのおかげです。
 『私の大阪八景』や『欲しがりません勝つまでは』は、少女時代の戦争を克明に描く。自分の人生を生きることも否定された不自然な時代の経験と、人間の欠 点までまるごと肯定し、愛情や笑いの溢れる物語を紡いでおられることは、どこかでつながっているんじゃないか? と、思わずにいられませんでした。

(民医連新聞 第1395号 2007年1月1日)