徳島健康生協 「再生」へ歩む 「力を合わせ、必ず」
徳島健康生協では二年前に経営危機が表面化し、苦戦のなか中堅医師一一人が退職する事態に至りました。全日本民医連の支援も受 け、今年七月の臨時総代会で、新たな役員と「再生プラン」を決定。まずは経営を黒字化し、仲間増やし・増資で、資金不足を乗り切ること。九~一二月の「再 生プランやりきろう月間」で成果を出すこと。職員・組合員は、組織改革、業務改善にも新鮮な気持ちで奮闘しています。(小林裕子記者)
一一月二九日、「月間中間総括会議」に職員四六人と理事・組合員、合わせて七〇人が集まりました。
「内科外来では、医師が封筒を手渡して増資をお願いしています。看護師も待ち時間を使って予診を始め、そのとき声をかけています」「回復期リハ病棟で は、未加入の患者さん全員に話し、昨年を超えました。介助量の測定評価(FIM)を導入しました」。職員八人が業務や経営の改善も含めて報告しました。
医療生協の五支部も報告。「仲間増やしの自主目標は突破したが、再生プラン上の目標はその五倍です。はやく達成したい」「月一回、統一行動しています。 待っていた人もいて、成果も元気も出た」「私たちは困難支部? と頭を抱えましたが、行動を始めました。休眠していた班の班会を合同で開き、新しい人を招 き、阿波踊り体操など、新しい班会メニューをつくり、空き家や自宅をたまり場にし、少しずつ具体化しています。元気で楽しい支部の再生につながればと思 い、今日はひるまず発表しました」。
会議に「おみやげ」と、加入・増資カードを届けてくれた支部長さんもいました。
仲間増やし50年で最大
専務理事の久保田滋さんは、岡山・倉敷医療生協から六月に単身赴任し、再建に当たっています。 徳島に来て、生協支部の自主性が弱く、管理運営の風通しが悪いと気づきました。「でも、危機をしっかり認識し、組織を改革し、職員・組合員が力を出し合え ば、必ず再生できる」。久保田専務は総括会議でも、みんなを励ましました。
組織部を改組した「健康づくり事業部」。部長の工藤豊子さんは、「支部長さんと勉強しながらの毎日。半年間たくさん業務改善をやった」と言います。
再生プランを学習し、ニュース手配りを増やし…。初めて全組合員に出資金残高を通知し、継続や増資を訴えました。非常勤理事も支部や委員会を担当し、理 事会の事前レクチャーなどで知識を深め、いま増資や組合債を集める先頭に立っています。
目標には及びませんが、一一月末で、新加入・増資ともに昨年の四倍。徳島健康生協五〇年の歴史で最高です(仲間増やしは支部が五七九、職員が二三四〇)。
医師・看護師も徹底議論
最大の課題は、健生病院の入院患者数の回復です。しかし、中堅医師が退職し弱まった体制をどうするか? 健生石井病院(療養五〇)の入院を当面休止し、医師・看護師・患者を健生病院に集中する。一カ月の集中議論で得た苦渋の選択です。
この合意には、医師集団が大きな役割を果たしました。八月、岡島文男理事長をはじめ医師幹部が意思統一し、全医師からヒアリング、「いっしょにがんばろ う」と伝えました。法人医師会議では、診療部長ラインを明確にするなど改善を決め、医療構想検討会、健生石井病院の病棟検討会、医師確保検討委員会を、全 員で分担。「研修医にがんばる姿を見せ、健生に残ってもらおう」と申し合わせました。来年、二人を迎え研修医は四人になります。
「看護師も変化しました」。看護部長の松浦智恵美さんは言います。医師や上司が次つぎと辞め、危機の中身もわからず不安の中にいた看護師たち。「再生プ ラン」をわかりやすく説明され、「ほんまに危ないんや」「でも、これ以上がんばれるの?」「民医連をなくしてもいいのか?」など議論し、一人ひとりが考え 抜いたといいます。
健生病院は〇四年に、オーダリングと電子カルテの同時導入を四カ月でやり遂げました。病院機能評価(V5)も受審。安全管理者も専任化しました。
「今までもがんばっていた。でも言われたことを黙もくとやっていたのでは? もっと経営に参加し、数にもこだわらなくては。看護師はまとまれば力を出せ ます。若い師長集団に、民医連看護を伝えるのは私たち、との自覚が生まれてきました。私は励ます係」と松浦さん。新しく退院後訪問を開始し、7‥1看護も 届け出ました。
練りに練った予算づくり
「在宅部門が自力で予算を作ったのは初めて。やり方を教えてもらい、数字が見えると関心も違います」。吉田八重子さん(在宅介護事業部長・看護師)は、今改悪でデイケアとヘルパー事業所が赤字化する中、訪問看護では黒字にできたと言います。
吉野才治さん(33)は二月に事務長に就任。同世代の仲間に「いっしょにがんばるから」と背中を押されました。「再生プランの前は、朝会も日報や月報も なかった。いま日報の『再生ニュース』で、仲間の奮闘や動きを伝えています。全職員会議や職責会議も定例化し、職場のモチベーションが高まってきた」と。 「何もかも新鮮」だそうです。
健生病院の予算は七次まで練って「黒字」で立てました。県連事務局長の楠藤(なんとう)義朝さんは「もう目いっぱいと思っていたが、全国の知恵と経験はすごい」と感心します。
若い幹部たちを前に、久保田専務は「彼らを見たから私は来たんだ」とつぶやきました。再生の歩みは続きます。
(民医連新聞 第1394号 2006年12月18日)