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民医連新聞

民医連新聞

中越被災地にまた冬が 壊れたままの家 不安な高齢者

中越大震災から一年、二度目の冬がきました。資金調達ができず、応急修理だけで危険な半壊住宅に住む人たち、復興住宅を待つ人たち、退去期限が一年を 切った仮設住宅、住宅問題は深刻です。高齢者が心身に受けたダメージも大きく、安心できる居場所が求められています。あのとき、ながおか医療生協の職員た ちは、自らも被災しながら、何日も泊まり込んで住民の支援を優先させました。強まった信頼を基礎に、息長い支援を模索しています。(小林裕子記者)

建て直せない住宅

 「家が倒壊した一家は、寝たきりのお父さんのベッドを入れ、アパートでギュウギュウな中で暮らしている」。なが おか生協診療所の田辺一博さん(作業療法士)がリハビリ訪問している家庭の多くも、まだ困難を抱えたままです。戸が開かない家、壁が崩れたままの家で病人 を抱え、そのまま住むしかない人もいます。

 「個人資産(住宅)に助成しない」という国の姿勢が問題の解決を阻んでいます。「全壊して二~四〇〇万円程度で家が建て直せるか?」、関係者の共通の声です。

 住宅応急修理制度は、被災状況のほか所得と世帯人数で制限がある上、仮設住宅、借り上げアパートに入居した場合は使えません。解体費の助成も現住地で建て替える場合だけ。高齢、収入が乏しいなどで修繕をためらう人も多く、お金が工面できて建て替えできた人は少数です。

 地震のとき田辺さんは、急きょ避難所になったデイセンターで、被災者の支援にあたりました。全国から続々と来た ボランティアに状況を説明し、仕事を割り当てるため、三人の仲間と昼夜三交替を続けました。被災住人がそれぞれ県の借り上げ住宅やアパートへ移るまで、世 話をしました。

 そして今も「住環境が悪く不安定では、リハビリしても良くならない」と心配は消えません。

居場所づくりと配食で住民励ます
新潟・ながおか医療生協

高齢者をささえる

 震災で体調が悪化、歩けなくなったり、要介護になった高齢者が多数います。生活の再建で手一杯の家族に、高齢者に気を配るゆとりがないのが現実。「気落ちして…」「張り合いがない」と、もらす高齢者もいます。

 震災後、同生協は「食事サービス」を始めました。安否確認も目的にした、ささえあい事業です。六五歳以上の人に日曜と休日を除く毎日、昼食・夕食を届けています。ご飯+おかず+汁で五〇〇円。いま月約八〇〇食の利用。配達は運転サポーターがささえています。

 市の受託事業「いきがい型デイ」も喜ばれています。同生協組織部の村山光映さんは、「みんなでいれば揺れても安 心だから」といいます。生協と地域住民が四年前につくり、共同で運営する「豊田いきいきの里」も、震災後、転居や家族の介護で来なくなった人がいて、村山 さんは心を痛めています。

 村山さんも、半壊した自宅を家族に任せ、避難所に駆けつけた一人です。住民の安否確認、片づけ、引っ越し、除雪 と、五カ月間休みのない生活を送るなか、生協を知らなかった人が「ご苦労様」「ありがとう」と信頼を寄せる変化を、肌で感じてきました。組合員は五三〇〇 人を超えました。

息長い支援が要る

 「被災者は、辛いことは忘れたいが、忘れられたくない」。ながおか生協診療所の高橋智憲事務長はいいます。いま も思い出すと涙が止まらなくなる住人、職員に、思いを寄せます。所長の羽賀正人医師が指摘する「隠れた地震関連死」の危険も去ってはいません。だから「支 援は一時であってはならず、長い視点で粘りづよく」と。

 高齢者の居場所づくりを事業計画にしました。小規模多機能型で、住めて、泊まれて、生きがいづくりができる共同スペース、訪問の拠点になる施設です。

 同時に、同生協は新潟災対連とともに、国にむけ「被災者生活再建支援法を改正し、公的な支援を強めて」の署名にとりくんでいます。

 組合員とともに夢を広げています。

(民医連新聞 第1370号 2005年12月19日)