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民医連新聞

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「小児難病医療費助成を復活して」 県議会動かした 千葉・船橋二和病院と「ぜんそくの子を持つ親の会」

 千葉県議会は、「小児慢性特定疾患に関する決議」を全会一致で採択しました。政府に対し「小児難病の公費助成の基準を見直し、緩和を」と求 め、県としても「独自で国の制度を補完できるような制度を検討する」という項目入りです。県を動かしたのは、小児特定疾患の子どもをかかえる親と医療ス タッフたちの運動でした。県内で集めた署名は、三カ月の短期間で四万四〇〇〇筆を超えました。船橋二和病院で話をききました。(木下直子記者)

医療費助成受けるぜん息児激減
2万6000人から170人に

 今年四月、国は小児難病の治療費の公費助成制度を「改正」※しました。これにあわせ、千葉県は国の基準に上乗せ して独自で行っていた「小児慢性特定疾患医療費助成制度」を廃止。このことで大きな打撃を受けたのは小児ぜん息の子どもたちです。昨年度まで県(千葉市・ 船橋市をのぞく)の治療費が給付されていた患児は約二万六〇〇〇人、これがわずか一七〇人(八月時点)にまで激減する事態に。

 乳幼児医療費助成から外れた子どもの検査や治療には、三割の窓口負担がかかるようになりました。アレルゲン検査は一回で六~七〇〇〇円、薬代は、月五〇〇〇円から一万円です。

***

 負担増から約一カ月後、千葉県の制度復活と、存続が危ぶまれる船橋市の独自助成制度の継続を求める「ちばのぜん そくの子を持つ親の会」ができました。船橋二和病院の患者がつくっていた、ぜんそくとアレルギーの子を持つ親の会が中心になりました。「署名は九月議会ま でに三万筆集めよう」とめざしました。

目の前の患者さんを

 職員や友の会も、いっしょにとりくみました。

 「皆でがんばれた」。小児外来で働く事務の東幹太さん(30)の実感です。運動の中心メンバーとして奮闘しまし た。「毎日接している患者さんのたいへんさが分かるから、積極的になれたんだと思う。親御さんも若くて所得が少ないから、医療費負担は馬鹿にならない。何 より、子どもたちが治療できるかどうかが、かかってます」。

 東さんの言葉どおり、四月以降、スタッフは、医療費に困っている何人かのケースに遭遇しました。子どもの調子が 悪くても「お金がかかるから、がまんさせていたけど、駄目だった」と、夜間駆けこんでくる親に対応した看護師。診察室で「慢性疾患の指導料をとらないでほ しい」と、お母さんに頼まれた医師もいます。国の病状基準には該当せず、県の制度もなくなり、治療にせっぱつまった一家が、「とりあえず今年度はまだ助成 があるから」と、隣町から船橋市に越してきたケースも。

 いつもは「置いておくだけ」の署名の扱いが今回は違いました。パート職員も「わが子に重ねて、人ごとじゃない」 と、業務の合間に署名を訴えてくれました。東さん自身も、近隣の医療機関を訪問し協力依頼したり、院内の会議で他の職場の人たちに運動を広げてほしい、と よびかけたり…と、「初めてづくし」に挑戦。勤務後、集めた署名整理を、遅くまでお母さんたちに混じってやったことも。訴えを聞き、八〇〇筆を集めてくれ た保険薬局もありました。

〝スゴイやりがいだった〟

 運動は、他の患者・市民団体にも広がり、総合病院や小児科医院二〇カ所以上が協力しました。千葉県に四万四〇三三筆、船橋市へは一万六七七七筆と目標を超える署名を提出しました。船橋市議会も全会一致で陳情を採択。

 「議会に届いたから、スゴいやりがいがありました。安心して医療が受けられることの大事さ、社会保障と自分の仕 事も、前より結びついた気がするし。あ、でも、陳情が採択されても、油断できないんです。来年度予算に、ちゃんと入るかどうか、見届けないと」。少しほこ ろんでいた東さんの顔が、またひきしまりました。


※今年四月、国は小児慢性特定疾患治療事業を「改正」。認定症状も変更し、重症に助成対象を絞り、自己負担を導入 した。ぜん息でも「三カ月に三回以上の大発作」などに絞られた。千葉市では、「月一回以上の通院や毎日の服薬」などの基準をつくり、国の対象外となった八 〇〇〇人の半数を救済。船橋市は、改正前の給付内容を維持したものの、「今年度一時的に行う」とし、来年からの方向性は明らかにしていない。「そもそも国 の基準が厳しすぎる」と、同院の小児科医ら。「一度大発作を起こした患者には、再発を押さえるよう、医療者はがんばりますから、該当者はわずか。アレル ギーやぜん息は、増えることはあっても減ることはありません。使える制度に見直してほしい」と語る。

(民医連新聞 第1368号 2005年11月21日)