9条は宝 発言(5) 戦争体験を伝える「ミニ語り部」として
今回は、祖母の戦争体験を語り継ぐ民医連の医師です。
日本赤十字の従軍看護婦だった祖母の写真をみてください。中国の戦地に赴く前、死を覚悟して撮ったのでしょう。看護婦の服は白ではなく「黒」だったのです。
祖母は看護婦の免許を生かして養護教員をしていました。夫(祖父)は先に召集され、中国に渡っていました。そして乳児(私の父)を育てながら働いていた 祖母にも召集がかかったのです。子どもを親戚にあずけ、祖母は中国、青島(チンタオ)の陸軍病院へ向かいました。
祖母が話す戦争体験は
祖母は当時の陸軍病院の様子を、一〇歳くらいだった私にこう聞かせてくれました。
「足がつけねのところからない兵隊さんがいた」「大砲の音を怖がって、泣いていた兵隊さんもいた」「戦闘で負傷し、お母さん、お母さん、といいながら死 んでいった兵隊さんも」「錯乱状態で木製のベッドを壊した兵隊さんも」…。
「人の心」をなくすこと
いっしょに働いていた軍医は、祖母に言わせれば「まだまだ勉強中のひと」だったと。診察が終わると解剖の手伝いをさせられたそうです。
遺体のなかには中国人の子どももあったそうです。私は衝撃を受け、疑問をもちました。「なぜその子は死んだんだろう」「殺されたのだろうか」、祖母も詳しい事情は知らされていませんでした。
解剖というものは、故人の医療、医学へ貢献したいという尊い遺志によりさせていただくものです。
戦時中は人の命というものが、あまりにも軽々しく扱われていたのだと思います。後に七三一部隊が行った人体実験(医師たちが中国人らを細菌兵器の実験台 にしていた)のことも知りました。戦争は「人の心」を失わせる恐ろしいものだと思いました。
次の世代に伝えたい
診療所でも友の会新聞やホームページに、祖母の話をのせました。患者さんたちから「読みましたよ」と声がかかり、自分の戦争体験をよせてくださった方もいました。発信することは大切ですね。
私の勤務している診療所の地域では「戦争で孫たちを泣かすな」と高齢の方がたが街頭でがんばっています。「憲法九条岩倉の会」も立ち上がりました。
「武力を持たない」「戦争をしない」という憲法九条。世界で唯一の私たちの大切な宝。今、この憲法九条が危ない。再び医療従事者が戦争に召集される時代 にしてはいけないと思います。私は加害者にも被害者にもなりたくない。祖母は「まさか女性が戦争にとられるとは思っていなかった」とよく言っていました。
終戦時二〇歳だった若者はもう八〇歳です。戦争体験を語り継ぐために私も「ミニ語り部」になりたいです。私自身は戦争体験者ではありませんが、祖父母、 父母のそして患者さん、地域の方々の体験を残したい、次の世代に伝えたい。
そして言いたいのです。「憲法九条はね、たくさんの人が命を犠牲にして、戦争はいけないと気がついてつくったものなんだよ。あなたたちにずっと平和な世 の中を残したいって、皆で守ってきたんだよ。憲法九条はどんなことがあっても守らなきゃだめだよ」と。
(民医連新聞 第1358号 2005年6月20日)