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民医連新聞

民医連新聞

NYで青年医師は叫んだ 「核兵器なくして、戦争やめて」

 「核保有国は核廃絶の約束を果たせ」。五月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議がニューヨークの国連本部で開かれました。日本からは民医連の九 一人を含む要請団八五〇人が、五〇三万の署名を携え現地入りし、各国代表に「核廃絶」を訴えました。愛知・南生協病院から参加した青年医師、久野洋さんと 長田芳幸さんの通信です。

 ジョン・F・ケネディ空港に降りたったのは、四月二九日午後三時。 一二時間もの飛行で到着した感動を写真に収 めようと、僕(長田)は久野医師にカメラを向けました。すると突然、空港職員が歩み寄ってきて、「撮影はだめ。カメラの提出を」と。あわてて「写真はまだ 撮っていない」とカメラを見せ、解放されました。なんと厳しい警戒…。

 僕らの班に「宗教平和連合」のお坊さん方がいました。言葉を交わすうち「檀家(だんか)の寄付で成り立つ寺で平和活動をするには障害が多い」と聞きました。なのにここに来た勇気と力に感動を覚え、僕らが恵まれた環境にいることも分かりました。

 病院の職員と生協組合員からのたくさんのカンパで、旅費はすべてまかなえたし、壮行会も開いてもらい、被爆者から熱いメッセージを受けての参加です。責任の重さをひしひしと感じました。

 四月三〇日 いよいよ活動開始。午前中はマジソンスクエア・ガーデン前で署名行動です。あいにくの雨。人が集中したためか、警察官が現れ、中止することに。署名の数は少なかったものの、立ち止まって話を聞く人もいて、想像していたより「反応は良し」と感じました。

 午後は大聖堂で公開シンポジウムを聴きました。米市民も多く会場はいっぱい。アメリカの平和活動家、ジャクリー ン・カバソ氏の「平和な世界を築くことは誰もが必要不可欠と思っている。しかし個人が日常の中で平和活動を行うことは、困難で勇気がいる。だが些細であっ ても活動する必要がある」という言葉に、勇気が出ました。夕方からは、民医連の参加者が集まり、被爆者と9・11の被害者家族の話を聴きました。米国政府 が9・11を逆に利用し、戦争を始めた話に憤りを感じました。

世界とつながる

 五月一日 この行動のメイン、ニューヨーク市街のパレードと集会でした。四万人もの大規模なもの。アメリカ人にも核問題に関心を持つ人、イラク戦争に憤る人も多いこと、いろいろなことを知りました。

 五月二日 国連でNPT再検討会議が始まりました。アナン事務総長は「地域紛争をなくすことが核の抑止につなが る」と語っていました。IAEA事務局長エルバラダイ氏は「核保有国と非核保有国の核の傘による相互依存が高まっているが、二一世紀はそれに依存しない新 しいパラダイム(規範)を構築すべき」と語りました。

 日本は、核燃料政策などで他国からは異常と見られ、米国とは「安全保障」という名目で、軍事同盟関係にあります。決して他人事ではありません。

一番の収穫は

 五月三日 国連へ見学に。一区画で原爆展をやっており、被爆者の坪井直さんが、主に健康被害について説明していました。知ってはいても、あらためて怒りと悲しみが湧きました。午後は、アメリカ・フランス・イギリスの反核団体とNGO代表による交流集会でした。

 「広島・長崎は過去ではなく、未来の記憶である」「核の問題は原因ではなく結果としての症状である」「日本も核保有国にすぐなれる状況だ。そうなったら核反対運動のすべてが意味を失う」という鋭い視点が出されました。

 「有意義な五日間の旅はこれで終わりではなく、これから僕らの力になるだろう」、これが一番の収穫です。ジャク リーン・カバソ氏のいうように日常の小さな歩みを積み重ねていこう。まずは一〇月に愛知で開く「反核医師の集い」を成功させようと思います。(おさだよし ゆき・くのひろし)


 

第7回核不拡散条約(NPT)再検討会議

 NPT条約は「核保有国以外に核保有を広げない」という、限界のある条約(1970年発効)。しかし世界 の世論と運動を背景に、2000年の再検討会議では「核兵器廃絶の明確な約束」の合意がされた。5年目の再検討会議には世界のNGOが、要請とアピールを 繰り広げた。日本の署名を受け取ったドゥアルテ議長は「私の思いも同じ」とのべた。今回、米国の抵抗により、核廃絶の「約束」が合意されなかった。

(民医連新聞 第1357号 2005年6月6日)