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民医連新聞

民医連新聞

スリランカの被災病院視察 支援について話し合う

 スマトラ沖大地震・インド洋大津波で、日本生協連医療部会が第二次スリランカ支援を、二月一〇~一四日に行いました。今後の全日本民医連としての支援のあり方を検討するため、原和人副会長と清水洋事務局次長が同行しました。原副会長のレポートです。

 参加は医療部会から高橋泰行医療部会運営委員長はじめ、堀内静夫医師、高橋慶医師、村田紫看護師など七人と私たち二人でした。

 二月一〇日一一時に成田を出発し、香港、バンコクを経由して、スリランカの首都コロンボに着いたのは深夜でした。

 翌朝、市内にある協同組合協議会(NCC)の本部を訪問し、役員と懇談しました。民医連についても説明し、津波被害について支援する意思を伝えました。

 ラナワーケNCC会長から、支援に対する感謝がのべられ、津波で大きな被害が出たのは、南部にあるゴール生協病院とマータラ生協病院である、と説明を受けました。

 さっそく、車で西海岸沿いに被災した両生協病院をめざしました。一時間も走るとインド洋を望む美しい景色は一変 し、津波で破壊された町並みが目に飛び込んできました。被災者はまだ、壊れた家屋の後片づけをしているようで、がれきが積まれていました。いたる所に各国 から寄付されたというテントが並び、その中で生活していました。

 コロンボからゴール生協病院まで二時間半かかりました。病院に着くと職員が歓迎してくれました。津波によって建 物は二メートルほど海水に漬かりました。案内を受け施設を見回ると、一階にあった一般X線撮影装置やCT、マンモグラフィーなどの診断機器が使えなくなっ ていました。CTの機械の基盤を取り出し、修理して何とか動かそうとしていましたが困難なようでした。診断機器が使えないため、患者さんの半数は被害を受 けなかった他の病院に通院しているとのことでした。

 次に、二〇キロメートル離れたマータラ生協病院を訪れました。津波によって一階が海水に漬かったそうで、各部屋 の天井についている扇風機がさびていました。ここでも一階部分が被害を受けました。レントゲン室や手術室、分娩室、検査室の機器などが使用不能になり、手 術ができなくっていました。津波で流され、使えなくなった器具類が積んでありました。

 他に四つの病院を訪れ、職員と交流しました。その中でスリランカの医療や生協病院の果たしている役割などについても知ることができました。帰国前日に再び、NCC代表と支援の内容について協議し、一四日に戻りました。

*  *

 全日本民医連には、二月二八日までに、七五一万円の支援募金が寄せられました。理事会は、二月一〇日までに届い た三〇〇万円をゴール生協病院とマータラ生協病院に送ることを決めました。新潟・ときわ診療所や東京・立川相互病院などが寄贈する医療機器は、医療部会か ら送る機器と合わせて両病院へ届けられます。残りの募金は、日本国際ボランティアセンターを通じて、他の被災地に送ることなどを決めました。

(民医連新聞 第1351号 2005年3月7日)