医療倫理のはなし 実践編
講演とシンポジウム
『いのちとどう向き合うか』 神奈川民医連・川崎医療生協
神奈川民医連と川崎医療生協は二月一二日、終末期医療と医療倫理をテーマに講演とシンポジウム「いのちとどう向き合うか」を行いました。共同組織四〇人を含む一六三人が参加しました。
終末期医療について、埼玉協同病院の高石光雄院長(全日本民医連医療倫理委員)が講演。シンポジウムでは看護 師、研修医、患者家族、院内倫理委員、弁護士の五人が発言しました。会場からも次つぎと手があがり、「なかなか死なせてもらえないね」「たとえ数時間の主 治医であっても、患者に真摯に向き合うことで、遺族は救われる」などの患者側の疑問や感想、「高齢のターミナル患者に、消極的になっている気がして、無力 感も感じる。前向きになれるアドバイスを」「やれていないことを実感した」職員の悩みや決意も出て、討議は活発にすすみました。
閉会に、川崎医療生協の木下和枝看護部長は「事件公表からまもなく三年が経過しようとしており、川崎医療生協の 再生がどこまですすんできたのか、残した課題は何か、まとめの作業をすすめています。三年前、私たちは看護師として『事件をなぜ防げなかったか』と苦悩し ました。臨床の場面で、看護師は、患者さんの最善の利益を考え行動しなければなりません。そして問題の解決にあたっては、集団の力に依拠して職種を超え て、話し合う経験を重ねてきました。ひきつづき職種や立場を超えて手を結び、力をあわせてすすみます」と語りました。
シンポ 「臨床倫理をどう考えるか」
病棟看護師の石原奈美さんの報告は、病状説明や治療の選択を迫られた患者・家族が「その人らしく」生きるため に、看護者は何ができるかについて。生命に関わるほどの副作用の危険性のある化学療法を行うかどうか、判断を求められたあるガン患者の事例を紹介し、「生 命の尊厳(SOL)と生命の質(QOL)が、ぶつかる場面があっても、ていねいに向き合い、とことん話し合うことが大切」と、語りました。
研修医の平田真一さんは、医学教育では、倫理をほとんど学ばないことを紹介し、病名や予後の告知にあたっては 「本人と家族、どちらが先か」ということさえ悩んだ話、急変時のDNRの説明についての疑問など、九カ月間の研修期間を振り返りました。「急変時のDNR のガイドラインや、本人・家族向けの案内のようなものが必要」との提案もしました。
医療生協組合員の笹岡敏紀さんは、九一歳の義母を在宅で介護した経験を通じて、終末期の医療や医療者への要望を 語りました。「医療者の患者への接し方は、患者を死にゆく人としてみるか、生きてゆく人としてみるかの考え方につきるのでは? どんな高齢であっても、人 格を持った人間として接してほしい。医学の専門外のことも、たくさん学んでほしい」。
川崎協同病院の倫理委員・穴沢咲知さんは、〇二年六月の発足からの委員会活動を報告。三カ月に一度、通算一一回 開催しました。医師集団の討議をすすめることや、全職種参加の症例検討会の定期開催、各種ガイドラインづくりなど、課題は少なくありませんが、「自分たち の言葉で医療の視点が語られるようになった」「研修医や異動してきた医師からの審議申請が出るようになった」などの前進面も。「終末期ガイドライン」も見 直しています。「いつまでも患者に寄り添う医療を」「最期までその人らしく生き抜く支援を」「日常診療の中から材料を探して」と、仲間への期待も語りまし た。
小口克巳弁護士は、法律家の見地から終末期について語りました。「生命は絶対の存在であり、死についての自己選 択は認めない」という法の立場を紹介。最近、終末期の考え方が取り入れられるようになった例が「東海大安楽死事件」判決だが、これは死ぬ権利を認めたので はなく、死の迎え方、死に至る過程の選択権を認めたにすぎない。医療現場と法の間のズレを感じると思うが、この判決の方向性は当分変わらないだろう、と説 明しました。
(木下直子記者)
(民医連新聞 第1351号 2005年3月7日)