「ホームレス助けたい」地域が手をつないで 厳しい冬を前に「相談会」 北海道・旭川
冬はマイナス二〇度にもなる北海道旭川市で、ホームレス生活を送る人たちがいます。道北勤医協が参加する旭川・上川社保協では、市民ボラン ティアグループ「どんぐりの会」と共同で、毎月第四土曜日に炊き出し、生活・健康相談、生保申請への個別対応を行う「相談会」にとりくんでいます。市の保 健福祉課とも連携をとり、〇三年九月以降、六〇人以上を路上生活から脱却させています。一〇月二三日の相談会を訪ねました。(鐙(あぶみ) 史朗記者)
みぞれ混じりの雨の中、会場の神楽福祉センターには、定刻の一時になる前から、ホームレスの人たちが集まり、輪になって話をしていました。炊事場では、 「どんぐりの会」のメンバーが炊き出しのカレー作り。相談会場では、すでに市の保健師さんが健康状態を聴き取り、保健福祉課の国岡哲弥係長が対応していま した。社保協の太田秋男さん(道北勤医協職員)が顔を出すと、「お世話になりました」とお辞儀し、話しかけてきた人がいました。この人はホームレスから脱 却した人です。この日は、「元」の人も含めて一八人が来ました。
昨年、政府が行った全国実態調査では、「旭川に二一人のホームレスがいる」と発表され、マスコミにも紹介されました。「記事をみたときはこんな寒い地に、とショックでした」と、太田さんはいいます。
市民に協力呼びかけ
太田さんの提案で社保協は、実態調査に入りました。駅構内や図書館、文化会館などの公共施設、公園などで生 活をする人を確認しました。河川敷や橋の下にも、ビニールシートを張り合わせたテントで生活している人がいました。なかには、凍死したり、テント内で一酸 化炭素中毒で亡くなった人もいました。
会社が倒産し仕事を失った人、貯金を使い果たした人、病気を理由に会社をクビになった人など、ホームレスになった理由も聴き取りました。ホームレスの数は、実にその時点で政府調査よりも多く、五〇人以上になることがわかりました。
「ほうっておけない」と、社保協は、ホームレス支援に動き出しました。「いっしょにとりくむ人たちをひろげたい」と、昨年の六・七月に学習会を開き、広く市民にも協力を呼びかけました。このとき、国岡さんも参加しました。
国岡さんと保健師さんはボランティアで相談会を手伝ってくれることになりました。市職員としても「ホームレス自立支援法にどうとりくむか」を模索していたのです。
また、九月に行われた最初の「相談会」に参加した市民らが、一一月に「どんぐりの会」を結成。会のメンバーは自分の生活の空き時間を利用して市内を巡回 し、ホームレスの相談にのったり、物資の差し入れをはじめました。支援が必要な場合には、メンバーから社保協や市の担当者に連絡が入るようになりました。
社保協と連携とり
国岡さんは「どんぐりの会、社保協とは、連絡を密に取りあいながら、どういった支援が必要か考えています。憲法二五条の精神からいうと、生保を受けることは、決して恥ずかしいことではありません。必要な人は受けるべきです」と断言。
市としても、ホームレスの相談に力を入れはじめました。相談場所を書いた看板を公園や河川敷などに設置。ホームレスも年に一回、無料で住民健診を受けら れるようにしました。また、生保の期限が切れそうな人には、「どんぐりの会」に連絡し、更新の手続きにくるように働きかけてもらっています。
国岡さんは、相談会で生保対象者をみつけると申請窓口まで同行し、その方の状況を説明します。また職場で物資の提供も呼びかけています。それが、市役所の職員の理解にもつながっています。
雇用、福祉の整備を
ホームレス支援の地域ネットワークはひろがっています。
一条通病院では、医療支援を担っています。診察や入院、生保、身障の申請の対応から、相談会のチラシ配布なども。機関紙などで物資の提供も呼びかけ、多数集めています。
社長が民主商工会員の不動産会社は、所有するアパートに入居させてくれています。住人が帰らないとか、異変があると、社保協に連絡が入ります。病気で倒 れていた人を発見したこともありました。また、長年のホームレスで社会生活ができなくなっていた人をこの会社の社員が訪問して、ご飯の炊き方、風呂の入り 方、ゴミの出し方などを教えたケースもありました。
太田さんは言います。「『どんぐりの会』など市民の力が行政を動かしました。社保協は橋渡し役です」。
「毎月行われる相談会には、二〇人ほどのホームレスが来ます。この一年で脱脚した人もいますが、あらたにホームレスになった人が三割もいます。国は雇用、福祉などの整備をもっとしてほしい」と、強調しました。
(民医連新聞 第1346号 2004年12月20日)