新潟県中越地震の被災地 救援活動リポート
【荒井正和記者】地震発生四日後、一〇月二七日夕方、現地対策本部が置かれていたながおか生協診療所に入りました。
玄関前にはテントが立ち、すでに各地から来た支援者が、次つぎと立ち寄る被災者を励ましながら届いた物資を手渡していました。
同診療所も生協かんだ診療所も在宅支援型住宅のゆうこーぷ鈴も、避難場所に開放され、被災住民や利用者七〇人あまりがいました。炊き出しの指揮をとって いたのは、長野から支援にきた栄養士の淀千恵美さん。八井沢しず子看護師が避難者のために泊まりこんでいました。
夜の会議では、「午前中に起きた震度五強の余震で、いったん自宅に戻った人がまた避難所に帰ってきた」と伝えられました。避難所を回った医療班は「風邪薬や睡眠剤を出せないか」、「被災者は話を聞いてほしがっている」と報告。
生協かんだ診療所に泊まり、寝袋にもぐりこむも、深夜たびたびの余震が。寝不足で迎えた朝、気温は四・八度、この秋一番の冷え込みとのことでした。
三〇日は北海道、福岡などからもかけつけた仲間で支援者は二三〇人を超えました。被害の大きかった隣の小千谷市に車一〇台、六八人が医療支援に向かいました。
山間の道路は所々崩落し、迂回を余儀なくされました。途中にあった大型のビニールハウス四棟には五〇〇人が避難していて、びっくり。
目的地のデイサービスセンターには、主に高齢者や子ども五〇人が避難していました。壁の時計は、地震発生の五時五六分を指したまま止まっていました。
「子どもが熱を出した」「血圧を測ってほしい」「柱の向こうに具合の悪いお年寄りがいる」と次つぎと訴えが出されました。心臓病のお年寄りは血圧が高く、急きょボランティアがかかりつけ医に車で搬送しました。
被災者は、「地震発生後医療班が回ってきたのは初めて」と話し、「ありがとうございました。気をつけて帰って下さい」との言葉までかけてくれました。
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ながおか医療生協の山田栄作専務は「余震との長期にわたるたたかいです。皆さんの力を借りて、被災者の健康管理や生活支援にあたりたい」と、救援活動の先頭に立っています。
(民医連新聞 第1344号 2004年11月15日)
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