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民医連新聞

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「言葉が出ず 涙が出た」 〝沖縄〟を体験した青年たち

 一〇月四~六日、全日本民医連は沖縄で「辺野古(へのこ)海上ヘリ基地建設反対運動への支援・連帯行動」を行いました。長瀬文雄事務局長を 団長に、三二県連の青年職員四一人を含む五六人が参加。米軍ヘリ墜落現場に息をのみ、普天間(ふてんま)基地の辺野古への移設に命がけで反対している現地 の人とのふれあいに感動し、平和への決意を固めあいました。

 「現地の人が体を張る姿に言葉が出ず、涙が出た」「この青い海を埋め立て、美しい水平線を消してしまうなんて許 せない」「米軍の豪華な娯楽施設が見えた。これも私たちの税金でつくられたと思うと腹が立った」「海はきれいだった! できるなら、このまま沖縄に残って 毎日座り込みたいとさえ思った」…。青年職員が自分の目で見て、肌で感じた感想です。

 事業所に帰った青年たちは早速、報告会で語り、あるいは手作りのパンフレットを配り、新聞に投稿し、集会で発言するなど、体験したこと、考えたことを伝える行動をはじめています。

沖縄人(うちなんちゅ)の固い決意

 まず初日、沖縄民医連の内間均事務局長のガイドで、沖縄国際大の米軍ヘリ墜落現場へ向かいました。

 建物に黒く残る焼け跡、道路一本隔ててマンションが建ち並び、「落ちたヘリは二五㍍プールの大きさ」との説明に、ゾッとしました。東洋最大という嘉手納基地を見たのは、まさに米軍のF15戦闘機が空中で接触事故を起こし、緊急着陸をした直後でした。

 夕方は名護市でレクチャー。民商の仲本興真(こうしん)事務局長、ジュゴン環境アセス監視団で活動する東恩納(ひがしおんな)琢磨さん、ヘリ基地反対協議会の大西照雄さん。それぞれ決意の固い魅力的な人たちの話から知識も詰め込みました。

船から抗議する

 二日目、早朝のテント張りから座り込み行動に合流。昼は五班に分かれてチャーター船に乗り辺野古の海へ繰り出しました。

 おりしも防衛施設局の調査船や警戒船が海上で調査をはじめ、私たちはハンドマイクで抗議の声をあげました。地元 民の乗ったカヌーが警戒船が立てた波にあおられて転覆、「この海に基地をつくるなら私らを殺してからにしなさい」と叫ぶオジイ、オバアの命がけの姿を、目 に焼き付けました。

 夜は沖縄民医連の青年職員とともに交流。カチャーシーを踊って語り合いました。

この体験忘れない

 最終日は本島南部の戦跡めぐり。荒れたままの国吉・米須集落には、沖縄戦で一家全滅した家がいまも点在。位牌がとり残され、惨禍を伝えていました。

 解散式では「辺野古の運動を孤立させず、帰ってみんなに伝え全国から連帯していこう」と確認し、日程を終えました。

 「日を追うごとに、青年たちの顔つきが真剣になった。この体験は、平和運動の底力に成長すると確信した」と、長瀬団長は語りました。(郷野 仁、全日本民医連反核平和委員)

(民医連新聞 第1343号 2004年11月1日)