“関係ないヨ”と思ってない? 医療倫理のはなし(2)
判断に苦慮したケース…
前回は、「私たちが医療の現場で日常なにげなくやっている行為の中にも、もしかしたら倫理的な問題が含まれているかもしれない」ということを指摘しました。
今回はもう少し重い事例を紹介してみます。現実に私が経験し、判断に苦慮した事例です。
【ケース4】
五七歳男性。単身者で、以前は大量飲酒者で兄弟にたいへん面倒をかけてきた人だった。長期間に渡って糖尿病のコントロール不良状態が続き、腎症が進行、二年前から透析専門施設に転医し、血液透析を行っていた。
ところがある日、脳幹部出血を発症して当院に緊急入院。意識は半昏睡状態、呼吸状態も不良で入院時から人工呼吸 での管理が必要になった。急性期に死亡する可能性が非常に高いと思われたが、無事に一週間が経過、遷延性植物状態(あるいは、それに近い状態)で救命され る可能性が高くなってきた。
しかし入院後、血液透析は中止していたので、腎不全による肺うっ血がでてきており、このまま透析を再開しないと 死亡することは確実である。この状態(重度の意識障害と麻痺の存在と人工呼吸器装着)で、血液透析を再開すべきだろうか? 主治医、家族(実兄)は頭を抱 えてしまった。
この事例は次のような倫理的問題を多く含んでいました。
(1)患者が治療に関する選択を判断できる能力があるか。
(2)現在、患者に判断能力がない場合、事前に本人からなんらかの意思表示があったか。なかった場合、誰が治療方針の代理判断を行うべきか。
(3)代理判断者を家族とした場合、家族の希望だけで治療方針を決めてしまって良いのか。
(4)それとも、医療従事者主導で治療方針を決めてしまって良いのか。
(5)血液透析を行わないことを決定した場合、延命効果が期待できる治療を差し控えることが許されるのか。
(6)血液透析を行うと決定した場合、患者の状態にかかわらず、どんな侵襲的延命措置を行っても良いのか、
(7)仮に、血液透析を行って経過を見た場合、患者の意識が回復しないことを理由に、いったん開始した血液透析を中止しても良いのか。
終末期医療における倫理的判断は、内外を問わず、医療従事者にとって最もジレンマの多い領域とされています。現 実に、私たち民医連の病院の中でも、低酸素性脳症によって重い脳障害を負った患者の気管内チューブを抜去し、筋弛緩剤によって死に至らしめた事件がおきて います。こうした倫理的に難しい問題を解決するためのマニュアルは存在しません。
こうした問題に対応していくためには、一定の様式にのっとって医療スタッフが知恵を持ち寄って集団で議論することが重要です。終末期医療をめぐる問題と、議論のための方法論、この事例の具体的分析については、別の回に述べてゆきます。
(安田 肇、全日本民医連・医療倫理委員)
(民医連新聞 第1330号 2004年4月19日)
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