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民医連新聞

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私の意見〈4〉見解「『医療事故』『事件』と民医連の立場」に

見解「『医療事故』、『事件』と私たち民医連の立場」への感想・意見をひきつづき識者に聞きます

JPC 日本患者・家族団体協議会(*)
副代表幹事 辻川 寿之さん
事務局 山崎 旦夫さん

患者の立場から率直に言うと

「対等の立場」を徹底して「ともに成長しよう」

(*)日本患者・家族団体協議会(JPC)‥全国の難病患者・家族の会や協議会など43団体が加入

山崎 今日は患者の立場から率直に発言しますね。

 「意見」を読んで、民医連にはまだ「自分たちを守ろう」という自己保全の意識が多分にあるのかな、と感じ ました。川崎の事件も京都の事件も、いきさつをくわしく知っているわけではありませんが、病院の中がタテ割りで、「患者さんを集団でささえよう」という姿 勢が欠如していたのでは? と思いました。

 川崎協同病院の外部評価委員会の報告も読みましたが、病院を実際に利用している患者さんが、委員会メン バーに入っていなかったことが気になりました。患者は学者や専門家のような発言はできないでしょうが、「事件発生の土壌がなぜ生まれたのか」などの点で、 意見をだす機会をつくり、病院再生のために取り入れていくべきではないか。

 耳原のセラチア菌感染についての記述は「病院も被害者」というような印象がします。でも、患者の立場からみると「もう少し何か手を打てていれば、いのちを落とさずにすんだのではないか?」と思わずにはいられないのです。生死がかかってますから。

 医療事故を無くすためにインフォームド・コンセントのしくみを工夫するのも有効ではないでしょうか。「患 者は医療のことは知らない。わからない」という前提にたって、よく説明して、質問にも答えて、その説明を文書に記録し、さらに患者に読んでもらい、納得し た上で同意する、というシステムをつくってみるだとか。

辻川 「患者は医療を受けさせてもらう者」という発想が、民医連職員といえども、まだ意識の根底にあるのではないか、と思います。

 たとえば「様呼称」。民医連新聞の紙上討論で活発に意見交換があったのを興味深く読みましたが、「医療は患者と医療従事者が一体ですすめてゆくもの」というなら、患者を「様」と呼ぶのは変ではないか?「患者様」では距離を感じてしまいます。

 また、私はもともと労働者なので、民医連のことを「仲間」だと思っています。でも、民医連の方はそう思ってくれていないのかな?

 民医連の綱領にある「親切でよい医療」はみなさん懸命に実践している、と納得できます。しかし「はたらく ものの医療機関」の「はたらく者」が指すのは、院内の医療スタッフだけだと思っていやしないか? 本当は労働者・勤労者その家族全般を指すのですよね。職 員サイドにこの連帯の意識が薄くなっているから「様」と呼ぶのかな? と。

 また、医師養成に関しても意見があります。「来てくれる医師が少ないから、大事にしないといけない」とい う感覚で、医師に対して大事に大事に接するだけでは、「独善的な医師をつくらない」という方向にはすすみにくいと思います。結果的に「医療事故をなくす」 事にならないのでは?学術的な知識や習熟だけでなく、患者との接し方についての訓練にも心をくだいてほしいです。

山崎 昔からの「患者は(医療の)受け手」という考えが残っていると思いますが、闘病に際して、医療従事者と患者は対等の立場であるべきだ思います。

 私たち患者会が大きな柱にしている一つに「自分の病気を科学的にとらえること」があります。これは患者だ けではできない。医療従事者の知恵をもらわないと、患者は成長できないのです。民医連には「患者が自分の病気を知ることを助け、ともに成長していける医療 機関」であってほしいと思います。

辻川 JPCは「薬害・医療被害をなくして」という運動をつづけてきました。

 民医連には「綱領」や「医療・福祉宣言」、生協には「患者の権利章典」と、良いものがありますね。でも、院内の利用委員会や院外委員会などの活動は、まだまだこれからという感じでしょう? ぜひ、全国各地で各患者会との連携をすすめてほしいです。

(聞き手 木下直子記者)

(民医連新聞 第1303号 2003年3月11日)