『須田朱八郎先生を偲ぶ』
須田朱八郎先生を偲ぶ会
民医連の医療作風を率先して範となった須田先生
須田先生とは1946年、故後藤励蔵先生が日本医療団の戦後処理を不服として単身座り込み抗議を行った場所に、当時全国国立病院労組の副委員長をしていた私が激励にゆき、たまたま国立療養所労組の副委員長だった須田先生と初対面で会ったのが最初でした。
2人とも国立医療機関の労組幹部なのだから、両組合を合併させて単一の国立医療労組をつくれと後藤先生に示唆され、須田先生に指導されながら1948年 の別府温泉での合併総会で全国立医療労組(全医労)を結成。2人が副委員長になって以来のつきあいになりました。
1949年レッドパージ後、2人とも民主診療所活動をはじめ、1953年の全日本民医連結成から1969年に彼が惜しまれて世を去るまで、患者の立場に 立つ民医連医療を身をもって実践しながら、私に民医連医師としての厳しいけれど充実した人生を教え示してくれた彼への敬愛の念は、万言を費やしても語り尽 くすことはできません。
結核医として、当時困難を極めた結核患者の診療にあたった彼の肉親にも及ばぬ行き届いた親身の医療姿勢は、本書に書かれた多くの患者さんたちの言葉から うかがえるように、「患者の立場にたつ親切でよい医療」を綱領の第一項に掲げた民医連の医療作風の率先して範となった須田先生への、何にも勝る賛辞である と私は確信しています。
中国侵略から太平洋戦争に没入した戦前と瓜二つと思わせる昨今の危険な情勢のなかで、毅然として民主主義と国民の医療を守ってたたかいぬいた須田朱八郎医師の人生を、もっと濃密に伝える伝記の続刊を期待致します。
(肥田舜太郎・全日本民医連顧問)
発行:須田朱八郎先生を偲ぶ会
代表 久保喜太郎
0426―25―9835
頒価:1800円+送料200円
(民医連新聞2002年06月21日/1279号)
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