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民医連新聞

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いのちと人権まもれ たたかう列島 難病患者 難病患者・家族ら605人集う難病対策縮小も医療改悪も困る!!

―自治体などに働きかけひろげ―

 3月28日午後、東京・弁護士会館には、難病患者とその家族、支援者など605人が集まりました。
 「難病対策を後退させずいっそうの充実を、医療制度の改悪反対、医療被害・薬害の根絶」などの八項目を求めた「3・28大集会」。日本患者・家族団体協 議会(JPC)と全国難病団体協議会が中心となり呼びかけたものです。全国の22の患者団体、27地域団体が参加、支持を寄せた団体は685、個人は56 人でした。また集会実行委員会はこの日に向けて、自治体に同趣旨の請願や意見書を提出、56自治体で採択されました。賛同の声は日本医師会、千葉県医師 会、新潟県医師会にも広がっています。
 集会には、長瀬文雄全日本民医連事務局長も激励に。参加者は健保改悪についての情勢を学習した後、班に分かれ首相、厚生労働委員、衆参議員に要請行動。 また4時半から厚労省前、財務省前でビラを配り、夕方6時から再び弁護士会館で決起集会を行いました。
 国の難病対策は1972年(昭和47年)に始まりました。?原因不明、治療法が未確立で後遺症を残す恐れがある疾病、?経過が慢性にわたり、単に経済的 な問題のみならず介護等に著しく人手を要すため家庭の負担が重く、精神的にも負担の大きい疾患が対象です。実施当初はベーチェット病、重症筋無力症、スモ ンなど四疾患でしたが、年ねん追加され現在四六疾患が対象。「難病対策要綱」に基づき、「研究調査の推進」「医療施設の整備」「医療費の自己負担の軽減」 などの施策が行われています。
 ところが「聖域なき構造改革」大号令のもとで設置された難病対策専門委員会では、「対象疾患数に上限を設定、対象疾患を取捨選択することも考慮すべき (1995年)」、「希少性については患者数五万人未満を適用して差し支えない。希少性や難治性が相対的に低下したと思われる疾患の、他の疾患との入れ替 えを行うことが考えられる(1997年)」などの論点が提示されています。1998年には全額公費負担だった難病患者の医療費に自己負担を導入、受診率が 減少しました。JPCでは今国会に提出されている「健保改悪法」にも危機感を強めています。
 集会の基調報告で、JPC代表の伊藤たてお氏は「なぜ難病対策が始まったか。当時あまりにも多くの悲劇、事件があったからです。これをなくせば過去と同 じような悲劇がまた起きるということです」と強調し、「制度の存在が希望の光」「難病対策で蓄積された技術と体制は高齢者の施策に生かされてきました。難 病対策を縮小するような優しさのない政治は、日本の行く末にどんな悪影響を及ぼすか知れない」と述べました。
 また「『疾病の入れ替え』は大きな問題。全ての難病の対策に手がついていないのに」と批判。「今回の診療報酬改定も、六カ月を超える入院への特定療養費 を導入することは難病患者にとって直接かかわる問題。わずかな自己負担増でも、生涯にわたる医療が必要な私たちには大きな影響がある。財政基盤の弱い患者 家族に負担がのしかかる」と述べました。
 集会では七つの患者団体の代表が発言。「難病患者の多くは親や配偶者が生活をささえている。この不況下で生活が容易でない」、「現疾患に加え合併症や薬 の副作用で複数科を受診するため、医療費が生活を圧迫している。これ以上の痛みには耐えられない」「目が離せない患者を抱えて介護する家族は、働くことも できない。働いていても昨今では真っ先にリストラの対象にされたり、闘病以前に生活をささえることが困難」など切実な発言が続きました。
 難病対策専門委員会は、20001年内に出すといってきた答申をまだ出していません。患者・家族の運動によるものです。小児慢性一七疾患の見直しについ ても遅らせています。 集会アピールでは「私たち難病患者や長期慢性疾患の患者、障害者、高齢者から医療を取り上げるような医療制度改革には反対です。力 を合わせて反対運動に立ち上がろう」と呼びかけました。

(民医連新聞2002年04月11日 1273号)