民医連事業所のある風景 千葉 稲毛診療所 職員一人ひとりが主体となって、地域の要望に応える
稲毛診療所の建つ稲毛海岸地域は、1961年から造成された埋立地で、公団住宅の立ち並ぶ東京のベッドタウンとして形成されていきました。現在でも幕張新都心周辺地域として人気の居住エリアです。公団住宅は50年以上経ち、老朽化した建物から引っ越した人も少なくありません。数年前から新しくマンションや戸建ても建設されており、若い世代の住民も増加しています。しかし、今でも住み慣れた地域での暮らしを希望する人も多く、高齢化も顕著になり、独居の人も増えてきています。
医師不足でもできることを……
当初は現在の基幹病院である千葉健生病院の前身となる奥山医院の分院として69年に開設されました。初代所長の退任後は後任がなかなか決まらず、千葉健生病院院長が掛け持ちで所長を兼任し、診療所には週1回しか来られなかった時期もありました。掛け持ちの間は職員が「患者を守る、診療所をなくさない」の思いを一つにがんばってきました。当時の所内会議のまとめに「みんなが婦長、みんなが事務長」という言葉があるくらい、みんなで事にあたりました。そのため、医師がいなくてもできることを追求した結果、現在の特徴ともいえる慢性疾患管理(以下慢患管理)の基礎がつくられました。
慢患管理は、慢性疾患のある患者に対して誕生月と半年後に定期検査を予定し、看護師を中心に積極的に声かけしており、合併症の早期発見や手遅れのがんをなくす活動として力を注いでいます。また、中断チェックと称して、一定期間受診のない患者に手紙の郵送や電話かけを行い、疾病の急性増悪を防ぐ活動を全国的にも早い時期から行っています。
開設当初は公務員団地があったためか子どももたくさん受診していました。しかし次第に受診する人も内科の人が多くなり、世の中も出生率の低下が顕著となり少子高齢化を実感するようになりました。そのようななか、住み慣れた家で最期を迎えたいという患者やその家族の願いに応えようと在宅医療に積極的にとりくみました。医師体制の弱さや地域のニーズの変化の中から自分たちがどう応えようかと考えた結果、生まれた強さだと思います。
一人ひとりが考え、ニーズを模索する
96年から現在までの27年間にわたり、細山公子医師が所長を務めています。とにかく「地域で求められていることには、できるかぎりとりくむ」ことを理念とし、乳児健診、予防接種、健康診断、外来診療、訪問診療をとりくんでおり、どれか一つに突出せずバランスよく活動しています。まだ家庭医という言葉が浸透する前から地域を丸ごと診ることを続けてきました。
また、ほかの施設を併設しておらず、診療所単体で運営しているので周辺の施設との連携はとても重要です。地域包括支援センターや訪問看護ステーションなどとの連携を密にして患者の情報を共有しています。そのため、職員一人ひとりが患者のために何ができるのかを考えて主体的に行動しています。これからも、そのときどきで地域の要望は変化していきますが、その要望にどのように応えるか職員みんなで模索しながらがんばります。
(稲毛診療所 事務長 加納 悟)