民医連事業所のある風景 島根 斐川生協病院 斐川生協病院を中心としたエリアでその人らしい暮らしを支える ひかわ生協村づくり
(1)風光明媚な田園地帯・斐川平野
縁結びの神様・出雲大社で有名な出雲市の東部に位置する斐川平野は、斐伊川が育んだ山陰最大級の沖積平野で東に宍道湖を望む風光明媚な田園地帯です。人口は3万人ほどですが県内でもまれな人口増加地域です。斐川生協病院はその斐川平野のど真ん中にあります。
(2)斐川生協病院のルーツ
斐川生協病院のルーツは戦前にさかのぼります。明治時代から続く金森医院を継いだ金森ひろたか医師は、終戦後すぐに帰郷し、戦中から閉院していた金森医院を再開しました。
1975年5月、ひろたか医師をはじめとする25人の発起人の呼びかけで「ひかわ医療生活協同組合」が設立されました。82年3月、金森隆、美智子夫妻が大阪・耳原総合病院での医師研修を終え帰郷しました。医師体制が強化された斐川生協病院は50床に増床、患者数が増え、増改築をくり返しながら斐川生協病院は発展していきました。
(3)新病院建設運動を契機に組合員主体の組織に
2000年5月、手狭になった斐川生協病院を移転新築するために、島根民医連の協力の下、新病院建設運動がスタートしました。当時の組合員数は3000人、出資金は1億円余り、支部はなく、班もわずかしかありませんでした。建設検討会(ワークショップ)、生協強化月間、班づくり月間に何度もとりくみ、保健大学を毎年開講しました。同年11月に行った健康まつりが3500人の参加で大成功したことを契機に組合員の活動は急速に広がっていきました。
04年8月1日、旧病院から200mほど北に離れた田園地帯に新斐川生協病院はオープンしました。病棟は50床から104床(現在は120床)に増床し、一般病床から医療療養病床と介護療養病床に転換、全館療養病床でありながら一定の装備を整えた外来機能を持つ全国でも珍しいタイプの病院として再スタートしました。
ちなみに、当時の組合員数は5360人、出資金2億200万円、二つの支部と三つの準備支部、班会は100を超えるまでになっていました。班を基礎に支部を単位にした活動が斐川町全体に広がりました。健康づくりを基本に、一人暮らしの見守り、助け合い・支え合いの活動を中心に組合員活動を行っています。
(4)安心して暮らし続けられるひかわ生協村をめざして
10年ごろから地域包括ケアシステムづくりが本格化する中で、医療・介護だけでなく、高齢者支援に最も必要とされる「住むこと」「食べること」を重視してとりくむことを確認し、14年4月にサービス付き高齢者住宅を病院に隣接して建設しました。15年9月には定期巡回随時対応型訪問看護介護を開始し、17年には、看護小規模多機能事業所を開設しました。これらは、「住み慣れた地域で暮らし続け、その人らしく生きることを支援します」をテーマにした「ひかわ医療生協の2020年ビジョン」に基づくものでした。19年3月には、「安価に入居できる住宅を」という地域の要望に応え住宅型有料老人ホーム、20年には看護小規模多機能事業所のサテライトを開設しました。
20年、「ひかわ医療生協の2025年ビジョン」を提起、斐川生協病院を中心とした地域に「高齢者が安心して暮らし続けられるまち」、「ひかわ生協村」をつくることを目標にすすめています。
(ひかわ医療生活協同組合 常務理事 吉田亨)
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