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いつでも元気

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スラヴ放浪記 シベリアの記憶 ビール瓶から歴史が見える

文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)

シベリアへ強制移送されたポーランドの人々。貨車に見立てた展示

シベリアへ強制移送されたポーランドの人々。貨車に見立てた展示

 2月、筆者が勤務する大学は冬休み。雪が降り空はどんよりした灰色。外出が億劫になるが、時間があるので各地の歴史探訪に出かける。数年前、ポーランド東北部の都市、ビャウィストクに「国立シベリア記念博物館」が開館したので行ってみた。
 第二次世界大戦でナチスドイツと旧ソ連の双方がポーランドに侵攻、ポーランドは国土を失った。ナチスは欧州全土でユダヤ人を迫害し大虐殺を行った。ポーランドの人々もまた差別や迫害を受け、多くの命が奪われた。
 一方、ソ連も残虐かつ組織的にポーランド人の命を奪った。戦後80年が経過する現在も、人々の心に深く刻み込まれているのが「旧ソ連による強制連行とシベリア移送」だ。大戦中、ソ連は当時のポーランド東部に暮らすエリート層とその家族を中心に、大規模な強制移送を4回行った。
 人々が寝静まった深夜、当局が突然民家に押し入り国外追放命令を出す。2時間以内に荷造りをさせると、一家もろとも連れ去り粗末な貨車に押し込んだ。連れて行かれたのは大地も凍てつくシベリア。待っていたのは不衛生な環境と過重労働、そして寒さと飢えだった。ポーランド移民局の調べによれば、約100万人の民間人が強制移送された。
 博物館は強制移送で使われた駅の跡地に建っている。引き込み線も残しており、人々の恐怖と悲しみを肌で感じた。

 かつてスラヴ諸国には、大勢のユダヤ人が生活していた。特にポーランドは、13世紀頃からユダヤ人保護政策を打ち出し、都市の近くにユダヤ人居住区ができていた。以前のポーランドの国土は現在より広く、ウクライナやベラルーシの西側の約半分がポーランドの支配下にあった。
 この一帯は19世紀から20世紀初頭にかけユダヤ人の居住者が激増。人口の大半を占める町や村も珍しくなく、こうした自治体は「シュテットル」と呼ばれた。シュテットルに居を構えたユダヤ人は、主に商売や頭脳労働に従事していた。
 興味深い話がある。ユダヤ人の職業はさまざまだが、ビールの醸造が多かった。ところが醸造業は、カトリック信者の間で「人の心を惑わせる悪魔の生業」と呼ばれることが多かった。日頃からアルコールを購入し、たしなんでいたのはユダヤ人よりもカトリック信者の方が多い。彼らは自分たちのアルコール依存症を醸造業の責任に押しつけていたようだ。

 筆者はこれまで、戦時下のウクライナへ何度も人道支援に出かけた。最近は物資を届けてすぐに立ち去るのはやめ、時間が許す限り気になる場所へ立ち寄り、第二次世界大戦前の姿を探すようになった。
 支援仲間に、ピョトルというビール大好き人間がいる。彼はビールが好きなだけではなく歴史も好き。そして旧ポーランド領で発見される古いビール瓶のコレクターでもある。 
 何度か彼のガレージを見せてもらったが、小さなショーケースに年代物のビール瓶がたくさん飾られている。個々の説明が始まれば、止まらなくなるので危険だ。
 「古いビール瓶は雄弁です。名前や醸造場所、書かれている言語などで、いつの時代に、どんな出生を持つ人が醸造したかが推測できる。それに古い瓶は現代にはない形や色があり、気泡もあります。それぞれがとても味わい深いんですよ」。
 近隣諸国との戦争に明け暮れ、そのたびに栄枯盛衰を繰り返したスラヴ諸国。領土を得たり失ったり。歴史探訪は戦争の深い爪痕を見ることが多いが、時代の移り変わりを探る楽しみもある。

いつでも元気 2025.2 No.399