テレビで会えない芸人
聞き手・八田大輔(編集部)
9月29~30日に岡山市で開催される全日本民医連共同組織活動交流集会。
記念ライブは「テレビで会えない芸人」松元ヒロさんです。
「コンプライアンス」「自主規制」「忖度」――。そんな言葉はどこ吹く風と、権力者に舌鋒鋭く切り込む芸人、松元ヒロ。ライブ会場は連日満席ですが、時の権力者を風刺する芸風ゆえにテレビで姿を見ることはできません。しかし、2020年に放送された「テレビで会えない芸人」(鹿児島テレビ)は大きな反響を呼び、その後映画化もされました
テレビ局の人が僕のライブを観て「感動しました!撮影させてください!」って来たんです。「撮ってもいいけど使えるとこあるの?」って心配だったんだけど、結局2年間密着されて。そしたらギャラクシー賞とかいろんな賞を取ったんですよ。「テレビ業界にもこんな人たちがいるんだ」って、すごく嬉しかったですね。
かつて所属していたコント集団「ザ・ニュースペーパー」(1988年結成)では、テレビにも多数出演しました
結成当時、筑紫哲也さんがニュース番組に呼んでくれてね。今じゃ考えられないけど、皇室とか政権をネタにしたコントをやらせてくれました。でも、だんだんとテレビが忖度するようになってきた。「政治家の名前をちょっと変えろ」とか「このネタはやり過ぎだ」とか、言いたいことが言えない。居心地の悪さがありました。
反骨の原体験
「言いたいことを言う」ために「ザ・ニュースペーパー」から独立した松元さん。時代の風潮に流されない反骨精神は、どのように培われたのでしょうか
僕が通ってた鹿児島の高校に体罰する先生がいて、毎朝正門の前に立ってるんです。ちょっとでも髪の毛が伸びた生徒がいたら、その場で正座させバリカンで刈る。そのうえ竹刀でケツを叩く。僕はそれがどうしても許せなかった。いつか、全校生徒3000人の前で訴えたかった。
そんな時に生徒会の選挙があって、僕がクラスメイトの応援演説をすることになったんです。そこで僕は全校生徒と先生たちに言いました。「皆さん、私には許せないことがあります。それは体罰です」。
そしたらみんな「よく言った!」って大歓声。「私たちは高校生です。聞く耳と考える頭があるんです。叩かなくても分かりますよ。口で説明できないような人が、教師をやっていていいんですか!」。
演説が終わって拍手喝采の中で壇を降りたら、「松元!体育教官室に来い!」って、その先生に連れて行かれました。僕は暴力に弱いもんでビクビクしてたら「松元!がんばれ!」って外から声がする。今まで体罰を受けていた生徒たちが、その部屋を取り囲んでたんです。そしたら先生が「・・・今日は許してやるから帰れ」って。
体罰とか暴力に対しても、みんなで立ち上がれば勝てるんだって思うようになった原体験でした。
その高校は日の丸の旗に一礼して一日が始まるっていう右翼の学校だったんで、大学では左翼を学ぶことに決めました。右翼と左翼があれば空も飛べるでしょ(笑)。
笑いと平和
権力者への痛烈な批判にも、社会的弱者と呼ばれる人たちへの優しいまなざしにも、共通するのは「笑い」です
人に活力や希望を与えるのが「笑い」だと思うんです。でもね、ただふざけてウケを狙ったり、弱い人を笑うんじゃない。おかしいと思うことを笑いを含めて伝えて、権力者をみんなで笑っちゃおうよっていうのが、芸人の使命だと僕は思っています。
だからね、僕が芸人として生きていけるのは、高校時代の悪い先生や悪い政治家のおかげ。岸田さんや麻生さんには長生きしてほしいですね(笑)。
9月の全日本民医連共同組織活動交流集会は、松元さんのライブが目玉企画です
岡山は憲法記念日にライブしたこともあって、すごく親しみがある土地。9月の共同組織さんの集会では「憲法くん」(日本国憲法を人間に見立てたネタ)も、できれば観てほしいですね。
民医連や共同組織のみなさんと僕の共通点は、「平和を守る」ことだと思うんです。平和じゃなければ医療も笑いもないよね。せっかく医療で治ってもさ、爆弾で命落としたら意味ないもん。絶望してるときに人は笑わないしね。
平和なところには笑いがある。笑顔がある。元気がある。まさに「いつでも元気」だよね。
共同組織活動交流集会の詳細は、本誌裏表紙をご覧ください
ドキュメンタリー映画
「テレビで会えない芸人」
立川談志や永六輔、井上ひさしらに愛された芸人・松元ヒロ。なぜ、彼はテレビから去ったのか。その生き方と笑いの哲学が、モノ言えぬ社会の素顔を浮かび上がらせる。
監督:四元良隆 牧祐樹
製作:鹿児島テレビ放送 配給:東風
詳細は公式サイト
https://tv-aenai-geinin.jp/まで
いつでも元気 2024.6 No.391