被災地の診療所
元日に起きた能登半島地震。
被災地で奮闘する石川民医連の輪島診療所と羽咋診療所を取材しました。
輪島診療所 全国支援
輪島診療所(輪島市)と輪島菜の花薬局の職員は、断水が続くなか懸命に医療と介護を続けています。
石川民医連は週3回、全国から駆けつけた支援の職員や物資を乗せた往復定期便(城北病院~輪島診療所)を運行。
2月7日、定期便に乗って輪島診療所に伺いました。
文・武田力(編集部) 写真・森住卓
2月7日、朝6時50分に城北病院(金沢市)を出発。けんろく診療所(金沢市)の丸山潮事務長が運転するワゴン車に、全日本民医連の増田剛会長らと乗り込みました。約100㎞離れた輪島診療所を目指して、海沿いの道を北上します。
朝の通勤ラッシュをくぐり抜けると、他県ナンバーのごみ収集車や給水車が目に入ってきました。甚大な被害が出た能登方面へ向かう「災害復旧支援車両」です。
志賀町の西山パーキングエリアで小休止。七尾市に入ったあたりから、屋根にブルーシートをかけた家が目立ちはじめました。「立ち入り危険」を示す赤い紙が貼られたお宅も。穴水町では、給水の場所と時間帯を知らせるアナウンスが聞こえます。さらに進むと、道路の陥没やひび割れ、崖崩れで茶色い土がむき出しになった斜面、崩壊した家屋など、地震の爪痕が生々しく迫ってきました。
1カ月ぶりのお風呂
10時50分に輪島診療所に到着。道路の修復が進んでいるとはいえ、震災前の2倍近い時間がかかりました。輪島市の中心部で建物の3割が全壊という被害を目の当たりにして、診療所が機能していることが奇跡のように感じられます。
この日はちょうど、診療所に併設する通所介護「さくらの木」がデイサービスを再開。4人の利用者さんに手作りの食事を提供したあと、避難所の輪島中学校へ移動しました。避難所には自衛隊の入浴施設が入っていますが、介護が必要な利用者さんは使えず、1カ月以上お風呂に入れていない方もいました。
「断水が続くなか再開は無理だと思っていましたが、少しの時間でも温まってくつろいでもらいたくて」と「さくらの木」管理者の鈴木祐子さん。お風呂から上がってきた利用者さんが「幸せ…忘れない」と言って、鈴木さんに手を合わせる姿が印象に残りました。
「ご無事でしたか」
翌日、輪島診療所の受付では、患者さんに「ご無事でしたか」と声をかける職員の姿がありました。問診では、家の被災状況や避難先などを丁寧に聴き取ります。
余震の際に薬缶のお湯で右足を火傷したという男性(80代)が受診。連日の通院で「だいぶよくなった」と言いながら、看護主任の二木優子さんの手当てを受けます。お湯を沸かした二木さんが「せっかくやし左足も」と促し、両足を足浴ケア。男性は「さっぱりした」と言って、帰っていきました。
建物に大きな被害がなかった輪島診療所は、1月4日に診療を再開。同日、診療所に併設する居宅介護「さくらの里」利用者のAさん(80代女性、全介助)を保護しました。「さくらの里」職員の平床美雪さんは、元日に訪問していたAさん宅で被災後、避難所でも寄り添い続けたと言います。
また被災直後の診療所には、患者さんからの薬の問い合わせが殺到。地震によって道路や橋が壊れたなかで、遠くの避難所まで薬を配達して喜ばれました。
生活再建の支援を
現在はかかりつけの患者さんが少しずつ戻っていますが、日常の診療からは程遠い状態が続きます。毎晩6~7人の職員が診療所に泊まり、避難所や親戚宅から通う職員も。診察室では、医師の顔を見て「何にもなくなりました」と涙を流す患者さんもいます。
「被災者のみなさんにとって、先が見えないのがとてもつらい」と話すのは、輪島診療所の生方彰副所長。「家や生業が再建できるような支援を早急に具体化してほしい」と国・自治体に求めます。
診療所の待合室では、衣類や食料などの配布も行っています。上濱幸子事務長は「断水で洗濯が不便なため、下着が大変喜ばれている」と話します。当日は農民連北陸ブロックの協力で、豚汁とおにぎりの炊き出しも行いました。
地域のために
被災地の職員を支えようと、全日本民医連は医師や看護師、薬剤師、心理職などを現地に派遣。公認心理師の宮﨑絵美さん(青森・健生クリニック)と蛯名愛美さん(青森・生協さくら病院)は、職員の精神的ケアに取り組みました。
「みなさんが大変な思いで仕事されているなかで、自分に何ができるのかと考えた」と宮﨑さん。「話すなかで笑顔を見られたりすると、その人が持つ強さを感じ、驚かされました」と蛯名さんは話します。
上濱事務長は「被災した者同士では遠慮して言えないこともある。全国からの激励と支援に加えて、心理職のみなさんに気持ちや要求を聞いてもらえるのが本当にありがたい」と感謝します。
山本悟所長は「避難した住民が安心して戻ってこられるように、引き続き地域のために力を尽くしたい」と前を向きます。
羽咋診療所 地域訪問
2月6日、羽咋市の羽咋診療所と石川県健康友の会連合会能登中部ブロックが、診療所周辺の御坊山地域を訪問しました。
震災後、初の全戸訪問で、地域の現状と課題、共同組織と民医連に求められることが見えてきました。
文・写真 稲原 真一(民医連新聞)
羽咋市は人口約2万人、高齢化率は40%で友の会会員は約5500人います。訪問は地域の実態調査と、地域サロン(32ページに記事掲載)の案内が目的。全国からの支援者1人を含む7人、3チームで訪問しました。
前日に降った雪を踏みしめながら「羽咋診療所から来ました。体調や生活はいかがですか?」と声をかけるのは、羽咋診療所の野口卓夫所長。御坊山町は河川を埋め立てた土地で、市内でも液状化の被害が大きかった地域です。「外からは見えないが、かなり被害が出ている」と野口所長。玄関には倒壊の危険性を示す赤の貼り紙が目につきます。
路面はひび割れ、住居も土台が崩れたり梁が歪んだりしています。訪問した友の会の山上順子さんは「実際に歩いて被害の深刻さを実感した」と言います。
取り残される
認知症の夫に避難してもらい、自身は自宅に住み続けている高齢の女性と出会いました。自宅は赤紙が貼られ夫は地震後に家を怖がるようになりました。「(全壊ではないので)支援金は出て数万円。二人で最期までこの家でと思っていたけれど、それもかないそうにない…」と漏らします。
他にも「家の中は床がボコボコだが、市の職員は外観だけで被害なしと判定した」と憤る人も。道路の損傷やバスの減便で通勤や通学に支障がある人や、避難先に家財道具がなく洗濯を手洗いでしている人もいました。
「私は大丈夫。輪島や珠洲に比べれば…」と言う人も。診療所事務の稲元郁代さんは「被害は深刻なのに報道でほとんど取り上げられず、取り残されていると感じる人もいる」と話します。「できるだけ多くの人に声をかけられるよう、訪問行動を継続したい」と全国支援にも期待します。
つながり支え合う
能登中部ブロックは1月20日にも会員宅を訪問し、161軒と対話しました。友の会事務局の能岡好道さんは、「話しているうちに涙を流す人もいて、心のケアが必要だと感じた」と言います。被災者が何でも話せる機会をつくろうと、2月9日の地域サロンを企画しました。
羽咋診療所と友の会は、地域の諸団体とともに「がんばろう!羽咋地震対策連絡会」を結成。2月5日の初会合では、「液状化による家屋被害は国の補償制度の対象外。高齢者などへの追加支援も自治体で区切られ、羽咋市は受けられない」という実態が分かりました。連絡会は20日、自治体独自の支援策を求める要望書を羽咋市に提出しました。
全国でも備えを
野口所長は「これから地域で必要になるのは介護などの生活支援。避難所には問題を抱え、帰る場所のない人が残っている。震災前からあったさまざまな課題が顕在化している」と指摘します。
羽咋市に隣接する志賀町には志賀原発があります。「原発が稼働中でなくて本当によかった」と稲元さん。「地震で道路が寸断され、原発事故が起きても避難できないことがはっきり分かった」と言います。
能登半島では2007年にも震度6強の地震がありましたが、石川県は防災計画を変更せず、今回の地震で避難所の物資不足など対策の遅れが生じました。野口所長は「今回の地震を教訓に全国でも災害対策を議論し、自治体や国の政策を点検して要望してほしい」と呼びかけます。
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医師、看護師の全国支援は現在、城北病院と小松みなみ診療所(小松市)に入っています。また2月26日から、輪島市内の友の会会員宅を訪問する全国支援が始まりました。
いつでも元気 2024.4 No.389