けんこう教室 音楽療法
音楽を聴いたり歌ったりすることが、身体や心の健康に加え社会生活にも良い効果をもたらす「音楽療法」。
認知症の予防や進行抑制にも効果があると注目されています。
東京都立産業技術大学院大学准教授の田部井賢一さんの寄稿です。
“魂の薬”として
音楽療法の歴史は古代エジプト時代にさかのぼり、“魂の薬”としての役割を果たしていたことから始まります。この時期、音楽は治療目的で広く用いられ、古代ヘブライ人による治療法の一環としても採用されました。
なかでも特に著名なのは、ダビデがハープを演奏してサウル王の心を鎮めたという逸話です。古代ギリシャでは、音楽は宗教的、医療的実践と密接に関連しており、病は神々への罪の結果と見なされ音楽が治療に利用されていました。この時代、音楽は呪術者によって悪霊を追放する手段としても活用されたことが記録されています。
しかし、ルネサンス期を迎えると音楽と医学の関係性は変化しました。医学の発展に伴い、音楽は徐々に医療から独立した存在となり治療的価値は一時的に背景に退きます。
近代に入ると、音楽の治療的特性が再び注目されるようになりました。特に、第一次世界大戦および第二次世界大戦後のアメリカにおいて、傷病兵の精神的回復を助ける慰問音楽グループの活動が、現代音楽療法の基盤となりました。
日本では1960年代に音楽療法を導入、その有効性が認識されるにつれて、急速に普及しました。現代では医学研究の進歩とともに、心理的及び身体的健康に効果がある治療法として現場で活用されています。
行動・心理症状への効果
音楽療法は、心理的、社会的、生理学的な面で広範囲にわたる効果を発揮します。具体的には、①心理的指標の改善 ②社会的行動の促進 ③攻撃性の軽減 ④情緒の安定化 ⑤うつ症状の緩和などです。
特に認知症の患者に対しては①不安状態の軽減 ②攻撃的・問題行動の減少 ③社会性の向上など、行動・心理症状への効果が期待できます。
また、生理学的には①脳活動の変化 ②NK細胞(自然免疫をつかさどる細胞)の活性化などが挙げられます。
さらに音楽療法でリラックスすることにより、ストレスや不安の軽減、疼痛の緩和にも役立ちます。これらは生活の質(QOL)向上や、終末期ケアにおける苦痛の緩和に貢献します。音楽療法の技術や手法に関する研究は進んでおり、その効果の測定や疾患の種類に応じた最適な選択が重要です。
曲の選択が大切
音楽療法が効果を最大限に発揮するためには、患者が親しみやすく感情的な共感を呼び起こす曲の選択が大切です。3つのケースを紹介しましょう。
■認知症
認知症患者に対しては、季節感のある曲や馴染み深いメロディーが効果的です。リラクゼーションを促して過去の記憶を思い起こすことで、社会的な交流や感情の安定を助けます。また合奏といった集団活動は、参加者間の連帯感を強化し社会性を高める効果があります。
■終末期
終末期医療における音楽療法は、患者の身体的、心理的、そして精神的な苦痛の軽減を目指します。個人の好みに合わせた楽曲を使った音楽鑑賞や演奏、さらにはイメージ体験や作曲活動を行い、不安感の緩和や疼痛の軽減、感情の発散、回想、そして死の受容といった面でサポートします。
■手術を控えた患者
手術を控えた患者が音楽を聴くと、血圧や心拍数を下げ感情的な安定をもたらします。心筋梗塞の患者に対しては、音楽療法が体温の正常化、心拍の安定、心血管系の合併症リスクの軽減に効果があるとされています。
術前の患者では、音楽療法がホルモンの一種「コルチゾール」の減少を早め、ストレス反応を軽減します。疼痛管理においても、音楽は痛みの感覚を和らげます。
音楽療法のメカニズム
音楽は言葉とは異なるコミュニケーション手段として、人々の感情や気分を喚起し、さらには生理的な反応まで引き出すことができる力を持っています。この特性を活用した音楽療法は、患者と信頼関係を築き、受容と共感を通じて患者の成長や自己治癒力を促します。
音楽療法のプロセスは、患者に関する情報の収集と評価(アセスメント)を経たうえで治療目標を設定。音楽療法を実施し、必要に応じて再評価します。
例えば認知症の患者に対してその人に合った曲を選択し、歌唱やリズム活動を行って記憶や感情を刺激します。即興演奏も使った創造的な音楽活動を通じて精神的安定と自己表現を促し、社会的相互作用と生活の質の向上を図ります。
こうした循環的な働きかけによって、音楽療法士 ※ は患者のニーズに応じて治療計画を更新し、患者が自身の問題を克服し心身の健康を向上させることを支援します。
※音楽療法士 音楽を通じて心身をサポートする仕事。日本音楽療法学会などが認定する民間資格で全国に約3700人いる
認知症への効果
認知症の根本的な治療薬は、まだ開発されていません。薬を使わない治療への関心は高く、音楽療法を含むさまざまな非薬物療法が研究され、認知症患者への効果を示すエビデンス(科学的な根拠)が徐々に蓄積されています。
このうち、「御浜―紀宝プロジェクト」を紹介しましょう。高齢化率の高い三重県南部の御浜町と紀宝町で行った研究で、音楽療法の効果を科学的に検証し、認知症患者の認知機能と生活の質の向上を目指すプロジェクトです。
このプロジェクトで両町に住む認知症患者に音楽と組み合わせた体操を実施したところ、認知症の進行を遅らせ、日常生活の動作の悪化も防ぐことが明らかになりました。
国際的にも音楽療法の効果を探る研究が進み、認知症に対して有効であることが明らかになっています。今後も更なる研究によってエビデンスを蓄積すれば、音楽療法が認知症患者のケアに新たな可能性をもたらすと考えています。
認知症の音楽療法
意思疎通が難しい認知症の方でも、音楽を介するとコミュニケーションがとりやすくなります。昔の流行歌や本人の好きな歌を流して、当時の思い出をともに語り合うと自然と笑顔があふれてくることもあります。
一緒に歌ったり、手拍子を呼びかけると脳の働きや身体の動き、発声が促されます。手拍子の代わりにハンドベルやタンバリン、鈴など音が鳴る簡単な楽器を使ってみてもいいでしょう。
歌いながら楽器を鳴らす、体操をするなど2つの動作を同時に行えば、脳の働きがより活発になり、認知症の進行を遅らせる効果も期待できます。周囲の人と一緒に歌ったり、順番に楽器を鳴らすなどグループで取り組むと、社会性の向上にもなります。
認知症と音楽療法を考えるドキュメンタリー映画
「認知症と生きる希望の処方箋」
名古屋の病院で音楽療法を実践する二人の音楽療法士を紹介。相手の病状と人生を鑑みながら、適切な音楽療法を施していくと誰も予想しなかった結果が。
監督・野澤和之
製作・2025年問題映画製作委員会
後援・日本在宅介護協会など
※上映予定は映画のホームページ(QRコード)をご覧ください
田部井 賢一(たべい・けんいち)
三重大学大学院医学系研究科認知症医療学講座助教などを経て現職。認知症の非薬物療法の研究に従事。特に高齢者・認知症患者の残存機能に着目したオーダーメード型非薬物療法の開発に取り組む。著書に『認知症ハンドブック 第2版』(分担執筆)、『医療関係者のための脳機能研究入門』(編著)など
いつでも元気 2024.4 No.389