被災地の友の会
文・写真 新井健治(編集部)
元日の能登半島地震は、輪島市や珠洲市など各地で甚大な被害が出ました。
全日本民医連と石川民医連は、地元の事業所とともに被災者の支援を続けています。
被災地の友の会を取材しました。
輪島市の佐渡麗子さんは1月1日、輪島港から380mの実家にいた。両親と自身の家族、妹家族の計12人で団らん。トランプでもしようかと思った矢先、「まるで洗濯機の中でかき回されているような」(佐渡さん)揺れが起きた。揺れが収まると、津波警報のサイレンが鳴り響くなか、小さい姪を抱きかかえ裏山へ走った。
避難した鳳至小学校の体育館から火の手が見えた。実家は全焼した輪島朝市と川を挟んで向かい側。ガスボンベが爆発したのだろうか。轟音とともに火柱が上がる様子を呆然と見つめた。
体育館には住民約500人が集まりごった返した。空きスペースがないため子どもだけ寝かせ、大人は座ったまま休んだ。毛布はなく、近所から持ち寄った絨毯などで寒さを凌いだ。
被災から4日目に支援物資が届くまで、水も食料もなかった。届いた食料はパンやカップラーメンばかりで、関西から自主的に来たボランティアの炊き出しに助けられた。
ダンボールベッドが届いたのは10日過ぎで、それまでは冷たい体育館の床に雑魚寝、コロナやインフルエンザがまん延した。トイレは汚物で溢れ、佐渡さんは市の保健師とともにスコップで袋に入れて処理した。
民医連の輪島診療所は建物の損壊などの被害は小さく4日から診療を再開。全国から医師や看護師、薬剤師らが支援に入っている。
輪島診療所は奥能登健康友の会の建設運動で1998年にできた。会員数は約5400人と輪島市の人口の約25%を占める。佐渡さんは石川県健康友の会連合会奥能登ブロックの副責任者。「高齢者の多い友の会員は携帯電話もなく、なかなか連絡がつかない。状況確認も進みません」と言う。
石川県健康友の会連合会の杉本満会長は、輪島市や珠洲市、能登町など被災地の友の会員を訪問。自宅や居場所の片付けをした。会員は判明しただけで輪島市と珠洲市で18人が亡くなった(2月4日時点)。
杉本会長は「家が倒壊した会員や家族と別れて避難生活を送る人、地元から離れて避難せざるを得ない方など、友の会のつながりも切れかかっています。住まいの再建や生業を取り戻し人間らしい暮らしを送れるよう、石川民医連や諸団体とともに友の会としてできることに取り組んでいきたい」と語った。
被災地の羽咋市では、民医連の羽咋診療所と健康友の会能登中部ブロックが1月20日から被災者の訪問を始めた。
液状化した内灘町
被災地の報道では奥能登地方が目に付くが、実は能登半島の付け根、内灘町も大きな被害を受けている。町は砂地と干潟を宅地化したため地盤が緩く、地震による液状化で地盤沈下が起き、道路や家屋が大きく傾いた。
友の会「健康で楽しく暮らそう内灘の会」は、地域団体や共産党町議と協力し、1月18日から地域訪問を始め、住民の要望を聞いて町に届けている。19日には民医連の城北病院(金沢市)職員も参加した。
1月22日、地域訪問に同行した。道路は波打ち沈下した電信柱の電線が目前に垂れ下がる。住宅街の道は地下から溢れた茶色い砂にまみれ、至る所に亀裂が入っていた。
「石川民医連」と書いた緑色の腕章を巻いて歩く友の会員に、住民から声がかかる。この地域は石川民医連の発足時(1953年)からつながりが深く、城北病院をはじめ民医連への信頼が厚い。
友の会内灘支部世話人の角田豊子さんは「小さな町で職員数も少なく、十分な対応ができていない。私たちが住民の声を聞くことが大切」と言う。道路が大きく傾いているためごみの回収車が通れず、ごみの集積場所が遠くなって困った高齢者の声も聞いた。
内灘町の中でも被害が大きい西荒屋地区にある会員の戸田清美さん宅は、地盤沈下で家の基礎がむき出しに。玄関には「危険」と記した赤い紙が貼られている。
石川勤労者医療協会職員で友の会内灘支部担当の山岸晃大さんは、支援物資のカイロを車に積んで支部に届けた。「まずは友の会員宅を訪問し、そこから地域に広げていきたい。何が求められているのか。住民に寄り添って気持ちを聞いていきたい」と話した。
【能登半島地震義援金】
全日本民医連と石川民医連は、能登半島地震の被災者支援のため義援金を募集しています。義援金は民医連事業所や共同組織の単位で集めています。
■振込先
北陸労働金庫 本店 普通 3764694
石川県民主医療機関連合会 会長 中内義幸
イシカワケンミンシユイリヨウキカンレンゴウカイ カイチヨウ ナカウチヨシユキ
■締め切り 2月末
いつでも元気 2024.3 No.388