スラヴ放浪記 スラヴから脂をこめて
文・写真 丸山美和(ルポライター、クラクフ市在住。ポーランド国立ヤギェロン大学講師)
自宅がある栃木県の山奥には、「強飯式」と呼ばれる古い奇祭がある。これでもかと盛られたどんぶり飯を、独特の言い回しで「食え、食え」と迫る。
私は現在、ポーランド南部のクラクフ市にアパートを借りて住んでいる。ポーランドでは、たびたび食事に招かれる。郷土料理や食文化に接する貴重な機会だし、他人を招くような家の料理はすこぶるうまい。しかし時として絶対に食べきれない、途方に暮れるような大量の料理が次々出てきて、強飯式のように「食べろ、食べろ」と迫られる。
食卓に必ずあるのが、脂たっぷりのハムやソーセージ、サラミなど。皿の上には、さらに謎の白い物体がある。
スラヴ圏のほとんどの国は、冬の寒さが非常に厳しいため、エネルギーを蓄えながら冬を乗り切る。そこで古来より広く食されてきた保存食が、豚の脂身の塩漬け。ポーランド語で「スウォニーナ」、南スラヴ語で「スラニーナ」、ウクライナ語で「サロ」、ベラルーシとロシアでは「サーラ」などと呼ばれる。謎の白い物体の正体である。
これを加熱せずに生のままスライスして食べる。素早く体内に吸収されるので、空腹にはもってこいだ。美容に良いとされるビタミンAとD、Eも含まれている。しかも腐らないため、軍隊の携行食としても重宝されてきた。
この脂身の塩漬けの威力を初めて認識したのが昨春、ウクライナとベラルーシの国境沿いに人道支援に行った時のこと。ロシア軍の侵攻に抵抗するウクライナ軍に、発電機や保存食を届けると、「ご一緒にお昼をいかがですか」と塹壕に招かれた。
すると、兵士の一人が巨大なかまぼこの塊のようなものをスライスし始めた。テーブルには、その白いスライスと黒いパン、生のタマネギ、生のニンニクが並んだ。
「これを全部、同時に食べてください」と言う。ずいぶんワイルドだなぁと思いながら口にすると、やっぱりワイルドな味だが、全てが絶妙に調和していた。特に白いスライスが美味で、口の中でさっと溶け後味もさわやかだ。
この白いスライスこそ「サロ」だ。ウクライナの国土には世界最高の質を誇る黒土、チェルノーゼムが広がる。このすばらしい土壌が育んだ豚の脂となれば、うまいのも納得だ。
一緒にいたポーランドの仲間たちも「このサロは僕たちの国のスウォニーナよりも、はるかにうまい!」と感激していた。
それ以来、私たちは人道支援の帰りに市場へ立ち寄り、サロを1kgも2kgも買い求めるようになった。
ところでサロは脂そのものなので、100gあたりで約800キロカロリーもある。米は同じ100gあたり156キロカロリーなので、超ハイカロリーだ。どんなに薄くスライスしても、調子に乗って毎度の食事ごとにパンと食べ、晩酌のお供にすればどうなるかは自明の理である。
私はもちろんのこと、頻繁にウクライナへ人道支援に行く仲間の全員が太り始めているではないか。
ウクライナへ50回以上も人道支援に入ったポーランドの市議会議員ウカシュは、過酷な作業のため当初は20kg以上も体重が減った。太り気味だった本人はとても喜んでいたが、サロを買い始めてからすっかり元に戻り、いまは顔が風船みたいに膨らんでいる。あのおいしいサロのせいだ。
この話を、クラクフ市や日本に住むウクライナの難民に話すと、一様に顔をほころばせ、「サロだね。その食べ方が一番うまい。サロは私たちの伝統食です!」と懐かしんでいた。
昨年6月、日本に戻った次の日に寝ぼけ眼で原稿を書いていた。すると夫が息子にこう言うではないか。
「見なさいよ、お母さんの顔!このツヤ!」。
私の顔には吹き出物ができ、皮脂でテカテカだったのだ。スラヴの人々が私に与えてくれた「脂」という愛の結晶である。
いつでも元気 2024.2 No.387
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