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いつでも元気

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ハーフタイム

増田剛(全日本民医連会長)

1995年の奇跡

 昨年、フランスで行われたラグビーワールドカップ(W杯)は、南アフリカ(南ア)の2大会連続4度目の優勝で幕を閉じました。決勝トーナメントは3試合連続で1点差勝利という離れ業です。
 南ア代表は世界最強といわれるニュージーランド(オールブラックス)と肩を並べる強豪ですが、アパルトヘイト(人種隔離政策)の影響で、1987年に始まったW杯に参加できませんでした。
 人種差別撤廃の機運のなか、94年に初めて全人種が参加した総選挙が行われ、27年間の獄中生活から釈放されたネルソン・マンデラ氏が黒人初の大統領に就任します。こうして南アは国際スポーツ界に復帰したのです。
 W杯初参加は95年、自国開催という特別の舞台でした。マンデラ大統領は白人支配の象徴である代表チーム「スプリングボックス」を、白人と他人種の和解と団結の象徴にしようと努力します。
 当時はまだ分断が顕著で、国民の間には一触即発のようなムードがありました。彼は「ワンチーム・ワンカントリー」を掲げ、代表チームを愛することを全国民に訴えます。ほぼ全員が白人で構成されたスプリングボックスのメンバーも大統領の思いに応え、黒人の子どもたちにラグビーを教えて回ります。
 大会に入り、彼らは神がかり的なパフォーマンスで勝ち進みます。決勝当日、マンデラ大統領はピナール主将と同じ背番号6のジャージを着て現れます。そして国民一丸となった大応援で初出場初優勝という奇跡を起こしたのです。優勝トロフィー(エリスカップ)が大統領から主将に手渡されます。
 「君がこの国のために成し遂げてくれたことに感謝する」と称えるマンデラ大統領に対して、ピナール主将がつぶやきます。「成し遂げたのはあなたです」。
 それから24年たった2019年、同じ背番号6を纏った初の黒人主将コリシは、横浜の空に向かって高くエリスカップを突き上げました。天から見守るマンデラに届くかのように。
 「南アフリカは多くの問題を抱えている。それでも異なる背景や人種からなるチームが一つになれた。一つにまとまれば、何だって成し遂げられる」。極貧生活の子ども時代を経て、主将になったコリシの言葉。この言葉は4年後、今回の連覇の瞬間にもこだまします。「団結すれば何でもできる、そのことを証明した」。
 現在の南アは、世界経済の新興5カ国(BRICS)の一角に位置付けられる発展をしましたが、人種間格差がなくなったわけではありません。しかし、分断の象徴だった代表チームを融和と結束の象徴に変えたこの国の人々なら、さらに素敵な国づくりができるかもしれません。

いつでも元気 2024.2 No.387