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いつでも元気

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民医連70年 9条の碑

東北から平和を発信
診療所に9条の碑
宮城

 民医連の坂総合病院附属北部診療所(宮城県塩釜市)に東北で初めて憲法9条の碑が建ちました。
 ウクライナに続きガザ地区でも戦乱が起きるなか「戦争をしない」と宣言した日本の9条の価値が世界でますます大きくなっています。

北部診療所の入り口に建った9条の碑

北部診療所の入り口に建った9条の碑

文・新井健治(編集部) 写真・大橋愛

 10月21日、坂総合病院附属北部診療所で9条の碑の除幕式が行われました。診療所職員のほか、坂総合病院の冨山陽介院長、みやぎ保健企画の菊地秀行事務局次長、みやぎ東部健康福祉友の会会員ら46人が参加しました。
 9条の碑を造るきっかけは、本誌3月号の記事。まいづる協立診療所が碑を建てた記事を読んだ北部診療所の宮沼弘明所長(宮城民医連会長)が、「署名を集めるだけでなく、さまざまな形で憲法を守る運動を発信したい」と建立を呼びかけました。
 石材店に見積もりをとると、石碑の費用は約100万円。今年4月に友の会とともに「北部診療所九条の碑建立する会」を結成、チラシを作り一口1000円で建設資金の募金を始めました。
 当初は「本当に100万円も集まるのか」と不安でしたが、始めてみると予想以上に反応は良く、目標金額を超える120万円以上が集まりました。募金に応じてくれたのは診療所職員をはじめ、患者、友の会、薬局、介護施設、宮城民医連退職者の会、同じ法人(宮城厚生協会)の職員ら個人123件、団体15件でした。
 募金は順調でしたが、苦労したのが石碑に刻む文字のバランスでした。文字はいったん彫ったら修正がきかないため、建立する会で何度も配置を考え、一番見やすいように工夫しました。
 石碑は御影石製で縦90㎝、横1m。診療所の玄関前に設置され、裏面に10口以上の募金協力者の名前も刻まれています。
 石碑の裏面に「佐藤秀幸」と10歳の長男の名前を彫ってもらったのは、診療所看護師の佐藤真貴子さん。「未来に生きる人に平和を考えてほしいと、子どもの名前にしました」と言います。
 除幕式で曳綱を引いた友の会事務局次長の中川邦彦さんは「住民の運動で1989年に開設した北部診療所のように、石碑を地域の宝にし、この地から平和をアピールしたい」と期待を込めます。募金には、地域の民医連以外の診療所院長5人の協力もありました。

平和を守る意志

 北部診療所は塩釜湾に面した山の中腹にあります。もともと漁師町で高齢化率が高いうえ、坂道が多くて通院が大変なため、約90人の患者を在宅で診ています。敷地は元購買生協の店舗を改築したことから広く、デイケア、訪問看護ステーション、ヘルパーステーションを併設、地域住民の健康を守っています。
 宮沼所長は「政府は大軍拡を進めており、今ほど『子や孫を戦場に送ってはいけない』との危機感を感じる時はない。診療所前に碑を建てることで、患者さん、利用者さんが平和を考えるきっかけになれば」と言います。
 募金も建設資金のためだけでなく、募金活動を通した対話で平和を考えるきっかけになることを目指しました。「東北で初めての碑。小さな地方都市から平和を守る意志を発信したい」。

世論をつくる

 全国各地で9条の碑が次々にできています。民医連関係では昨年6月に東京都足立区に都内で初の碑が完成。珍しい球体で東京民医連の健和会が敷地を提供、柳原リハビリテーション病院の隣に建ちました(本誌昨年9月号掲載)。前出のまいづる協立診療所(京都府舞鶴市)は開設30周年を記念し、診療所前に建立しました。
 全日本民医連(1953年創立)の綱領には、「一切の戦争政策に反対し」とあり、憲法9条を守ることは大切な課題です。全日本民医連は創立70周年を記念し、9条の碑の建設費を助成しています(別項)。
 宮沼所長は「全国いたるところに碑ができれば、9条を守る大きな世論になります。中国やロシアなどの動きを念頭に、『9条で平和を守れるのか』との声もありますが、『9条を活かしてこそ平和を守れる』と声を大にして言いたい」と話しました。


70周年記念事業
9条の碑の建設費を助成

全日本民医連は創立70周年を記念し、9条の碑の建設費を助成しています。北部診療所は申請第1号になります。

奄美中央病院(鹿児島民医連)は奄美医療生協組合員や地域住民の協力で募金を集め病院敷地に建立、12月1日に除幕式を行います。ほかにも、徳島など全国各地で計画が進んでいます。


市民力としての9条の碑

 全国に広がる9条の碑についてジャーナリストの伊藤千尋さんの報告です。

沖縄県大宜味村の役場前にある9条の碑 故・平良啓子さん(左)と伊藤千尋さん

沖縄県大宜味村の役場前にある9条の碑 故・平良啓子さん(左)と伊藤千尋さん

文・写真 伊藤千尋(ジャーナリスト)

 ウクライナの戦争が始まって以来、岸田政権は防衛費の倍増を唱え、九州の南に延びる南西諸島をミサイル基地化しました。政府による軍拡、さらに戦争に向けての国づくりが急速に進んでいます。
 こうした状況のなか、コロナ禍で活動しにくい状況にもかかわらず、市民の側で着実に進んでいるのが憲法9条の記念碑を建てる運動です。
 全国にある9条の碑を探し回り、23の碑の成り立ちを描いた『非戦の誓い』(あけび書房)を出版したのが昨年5月。それから1年半、今や全国で確認した碑は32を数えます。増えた9基のうち新たに建てられたのが7基、あとの2基はこれまで存在を知らなかったもの。さらに海外でも昨年11月、アフリカのジンバブエに完成しました。これで海外はスペイン、トルコに加えて3カ所になります。
 なぜこれほど9条の碑が増えているのでしょうか。記念碑と言えば普通、過去の業績をたたえるもの。しかし、9条の碑を建てる運動は違います。今、平和憲法がないがしろにされ、世界に誇る戦争放棄の条項が消されようとしています。その背景にあるのは、9条の良さが国民にきちんと知らされていないこと。ならば9条を目に見える形にして広め、「9条を意識的に支える行動に多くの国民を奮い立たせたい」というのが9条の碑を建てる趣旨です。

碑に込めた思い

 一つ一つの碑に、建立した人々の強い思いが秘められています。沖縄県大宜味村で建設を呼びかけた中心は、第2次世界大戦で米国の潜水艦に撃沈された疎開船「対馬丸」に乗っていた平良啓子さんでした。
 当時は小学校4年生で、暗い海に放り出されたまま6日間の漂流を経て生き残った方です。2017年に当時の安倍首相が新憲法の施行を目指すと公言したのをきっかけに、平良さんと村長が共同代表となり碑の設立を訴えました。
 「憲法を擁護し、二度と醜い戦争により私たちの郷土が人々の血で染まることのないよう…未来ある若者たちへの贈り物として」と建立の趣旨に書きました。若者たちが戦争に巻き込まれることがないように、との願いが込められています。その平良さんは今年7月に88歳で亡くなりました。
 最近の傾向として、平和だけでなく人権尊重の主張が込められています。2019年に北海道小樽市に碑を建てたのは治安維持法の犠牲者への国家賠償を求める団体のリーダーでした。同じ年、兵庫県福崎町では警察の不当捜査をはねつけた記念に建てました。誰もが安心して平和に生きることのできる権利の宣言でもあります。

全国で着々と

 9条の碑の多くは四角い石ですが、中には変わった形もあります。静岡県藤枝市の碑は母体の中にいる胎児を9の字に重ねたデザイン。沖縄県石垣市で市民が建てた碑は、倒れかかった鳩を9条が支える形です。いずれも地元の彫刻家の作品です。
 一方、東京都足立区の碑はステンレス製の球状で、北茨城市の碑は観光地の看板のように9の丸い部分に顔をはめて記念写真を撮ることができます。楽しいしユーモアを感じます。それだけ市民に、憲法が身近な存在として捉えられるようになったことを示します。
 10月21日、民医連の診療所に宮城県初の碑ができました。民医連が主導して新しい碑が次々に誕生するのは頼もしい限りです。同じ日に愛知県でも初めて碑ができました。こちらは珍しいお地蔵様の形。いろいろあって、みんないいではありませんか。
 ほかにも各地で建設運動が進んでいます。11月3日、北海道室蘭市で9条の碑の除幕式があり、東京都府中市では来年の完成に向けて計画が進行中です。平和国家への道をつぶそうとする政府がおかしいと思うなら、平和への道を市民が拡大すればいい。それが市民力であり、真の民主主義です。

いつでも元気 2023.12 No.385