けんこう教室 認知症世界の歩き方(上)
認知症の患者さんが経験する出来事を「本人」の視点から解き明かした『認知症世界の歩き方』(ライツ社)。
当事者の語りに耳を傾けて学び、分かりやすい旅物語の形式で紹介しています。
本書の監修に携わった佐藤理恵さん(看護師、issue+design)に寄稿していただきました。
「認知症」という言葉を聞いた時、あなたはどんなことを思い浮かべますか?
「たいへん」「できないことが増える」「自分はなりたくない」など、さまざまな言葉が浮かぶかもしれません。しかし、今思い浮かんだことは、これまで見聞きしたことからくる思い込みという可能性もあります。
世の中には、認知症についてよく分からないことから生じるさまざまな誤解や偏見があります。認知症の「本人」が生きている世界、見えている風景をありのままにお伝えしたい。そんな思いから『認知症世界の歩き方』シリーズは生まれました。
当事者の語りに耳を傾ける
私たちissue+designは「社会の課題に、市民の創造力を。」をテーマに、デザインを通じて社会的な課題を解決する活動を行っています。発足のきっかけとなった「震災+designプロジェクト」を皮切りに、これまでに介護、うつ・自殺、児童虐待、人口減少、風水害といった幅広い課題に取り組んできました。
認知症のある方の課題解決への取り組みとしては、慶應義塾大学が中心となって設立された「認知症未来共創ハブ」に立ち上げから関わり、100人を超える当事者にインタビューを行いました。その過程で、当事者が抱える悩みや問題が見えてきました。
認知症のある方からは「家族や職場の同僚、医師や介護士など、周囲の人に自分の状況や困難を理解してもらえない」という声が聞かれ、ご家族や周りの方々からは「どうすれば助けてあげられるのか分からない」という声があがります。
認知症のある方が置かれている状況について知ろうと思っても、認知症に関する書籍は医療や介護の視点から紹介しているものがほとんどで、本人がどんな状態にあるのか、どんな困りごとを抱えているのかという情報にはなかなか出会えません。
44の認知機能障害
「ないんだったらつくろう」と生まれたのが『認知症世界の歩き方』です。認知症のある方が経験する出来事を旅物語の形式にまとめ、分かりやすく学べるストーリーをつくりました(資料1)。
具体的なストーリーは後ほど紹介しますが、これらの背景には「44の認知機能障害」という考え方があります。認知症の医学的な症状だけでなく、当事者から伺った暮らしの中での困りごとを整理し、その困りごとを引き起こしていると考えられる心身のトラブルを整理しました。
例えば「トイレに失敗してしまう」という困りごとについて、「便器と床の色の違いが認識できない」「体性感覚が鈍く直前まで尿意に気づけない」など、さまざまな要因がありえます。
便器と床の色の違いの認識が難しい人に対し、失敗を叱責しても意味がありません。分かりやすい色のカバーをかけるなど、便座を認識しやすくする環境の工夫が必要です。
この44の認知機能障害を知り、本人がどうして困っているのかを考えてみることで、困りごとを解消・軽減する方法が見えてきます。
『認知症世界の歩き方』では、認知症を「認知機能が働きにくくなったために生活上の問題が生じ、暮らしづらくなっている状態」と定義します。認知機能とは「ある対象を目・耳・鼻・舌・肌などの感覚器官で捉え、それが何であるかを理解したり、思考・判断したり、計算や言語化したり、記憶にとどめたりする働き」のことです。
認知症のある方が直面するトラブルの背景には、必ずこうした認知機能の障害があり、そのあらわれ方は一人ひとり異なります。
認知症世界を旅する
それでは認知症世界の旅へ出発しましょう。認知機能障害のうち、記憶障害を分かりやすく解説したストーリー(ミステリーバス)を紹介します。
ストーリー ミステリーバス
ぜひ、資料2のQRコードから動画を再生してみてください。このストーリーでお伝えしている記憶障害というのは、認知症の中でも多くの方が知っている症状ではないでしょうか。「最近、人の名前や予定をすぐ“ど忘れ”しちゃうのよ。これって認知症の始まりなのかしら?」などという経験をしている方も多いかもしれません。
例えば「3月3日の午後6時から友人と食事する」約束をしたとします。当日、仕事のトラブルでついうっかり忘れてしまい、友人からの電話で思い出す。これはいわゆる“もの忘れ”です。一方、友人から電話をもらっても約束したことすら思い出せない。これが記憶障害です。
記憶障害はもの忘れとは異なり、情報を取り込む段階(記銘)から蓄え(保持)、思い出す(想起)段階までのプロセスに障害が生じることで起こります。
ただ、極度の疲労や睡眠不足で記憶力が低下した経験は、皆さんにもあるでしょう。記憶のトラブルは認知症に限らず、日常生活において誰にでも起こりうる現象です。認知症というと何か遠い特別な状態のように感じるかもしれませんが、認知症世界で起こることは、私たちの日々の生活と地続きでつながっているのです。
次回は認知症世界の旅をさらに続けながら、認知症のある方と関わるヒントになる「対話とデザイン」という考え方についてお伝えします。
著者:筧 裕介(issue+design)
監修:認知症未来共創ハブほか
発行所:ライツ社
定価:2,090円(税込)
いつでも元気 2023.11 No.384