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いつでも元気

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神々のルーツ 天皇家の守護神・園神と韓神

文・写真 片岡伸行(記者)

「園神」と「韓神」を祀る奈良市漢国町の漢國神社

「園神」と「韓神」を祀る奈良市漢国町の漢國神社

「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」(2001年12月18日、当時の明仁天皇)。今回は天皇家ゆかりの神を見ていきましょう。

朝鮮半島発祥の大和族

 神話の時代から645年の「大化の改新」あたりまでを「上古」と呼びます。本連載で何度か紹介した『吉備郡史』(岡山県吉備郡教育会発行)の中に、その上古の列島の姿が記されています。要約すると…。
 上古の列島には「土蜘蛛、国栖、飛騨、蝦夷、熊襲」などが土着し、そこに朝鮮半島から「大和族」が来て土着族を平定します。大和族とは「大山祇、出雲、高千穂」の3派で、いずれも朝鮮半島が発祥地。高千穂派の中心にいて九州・日向から列島の東に向けて支配を広げ、大和の地で王権を築いたのが初代大王の神武である…。
 神武の実在を信じる専門家はほとんどいませんが、この一文で注目されるのは「大和族3派」の発祥地がすべて朝鮮半島だと断じている点です。昨年6月号(現人神社)で「神武新羅人説」に触れましたが、それとやや重なる内容です。
 『吉備郡史』の発刊は1937年で、天皇主権、不敬罪の時代の真っ只中ですが、天皇家の祖先が朝鮮半島出身であると明記しても問題視された形跡はありません。
 さて、神話では皇室の祖は女王・天照ですが、実際に天皇家が代々祀ってきた「守り神」があります。

宮中36神の最古の神

 古代に天皇家の守護神とされたのは『延喜式』神名帳に「園神社、韓神社」と記される園神と韓神です。宮中36神の最古神とされ、「園神は新羅の神」「韓神は百済の神」とされます。 ※1 平安時代には宮中で盛大に「園韓神祭」が催されました。中世になって途絶えたようですが、現在も宮中で催される御神楽にその精髄が継承されているといわれます。
 2019年に挙行された皇位継承の儀式・大嘗祭の最後を飾ったのが、同年12月4日の「賢所御神楽の儀」でした。非公開のため現在の内容は分かりませんが、文献 ※2 によれば、賢所の庭に庭燎を焚き、笛や篳篥、和琴の伴奏で神楽歌が歌われます。その神楽歌の一つに「韓神」があり、次の一節を歌って宮中に韓神を迎えます。
〈三島木綿 肩にとりかけ われ韓神の 韓招ぎせむや 韓招ぎせむや〉
 「招ぎせむや」とは、お招きしましょうという意味。なぜ宮中に百済の神を招いて祭儀を行うのか。なぜ天皇家の守り神が最古神である新羅と百済の神なのか…。そこにルーツがなければ説明がつきません。

「漢の国」の神社から平安京へ

 奈良市の中心部、「漢の国の町」と書く漢国町に園神と韓神を祀る漢國神社があります。同社の由緒によれば、6世紀末に園神が祀られ、奈良時代初めの717年に藤原不比等が韓神二座を加えました。その後、園神、韓神は859年に平安京の宮内省に皇室の守護神として祀られました。
 藤原氏の旧姓は祭祀職の中臣氏。「天孫降臨」の際に随伴した一族が先祖とされ、朝鮮半島から来た「大和族」の一員であったのでしょう。藤原氏の氏神を祀る春日大社(奈良市)もヤマト王権と天皇家が重視した「上七社」の一つです。 
 園神と韓神は平安京遷都(794年)以前に、山城(京都)の地に根を張っていた新羅系の秦氏が祀った神との説もあります。いずれにせよ、京に都が遷されたあと、新羅と百済の神が皇室の守護神として宮内省に祀られたという経緯です。
 宮内庁に確認すると、園神と韓神は現在も東京都千代田区の皇居内にある「宮中三殿」に祀られています。(つづく)

※1 芸能史研究会編『神楽 古代の歌舞とまつり 日本の古典芸能1』(平凡社)
※2 土橋寛著『古代歌謡と儀礼の研究』(岩波書店)などに詳しい

いつでも元気 2023.11 No.384