民医連70年 難民支援
文・新井健治(編集部) 写真・酒井猛
日本の難民行政は劣悪です。難民認定率は、諸外国に比べ極めて低い0・67%。※1
難民と認められない外国人は出入国在留管理庁(入管)に収容されるか仮放免とまるで犯罪者扱い。仮放免中は仕事に就けず、医療保険も入れないため医療費は全額自己負担です。
1953年の創立から70年にわたり「無差別・平等」の医療を掲げてきた全日本民医連は、経済的に困窮した外国人を治療するとともに難民行政の改善を国に求めています。
難民の実態についてクルド人 ※2 の大学生に話を聞きました。
また、民医連の名南病院(愛知県名古屋市)を取材しました。
※1 難民認定率 2021年のデータ。英国は63.38%、ドイツは25.90%
※2 クルド人 トルコ、イラク、イラン、シリアにまたがる山岳地帯などに住む民族。総人口は2000~3000万人で「国家を持たない最大の民族」と呼ばれる
砕かれた夢
クルド人大学生
トルコからやって来たクルド人大学生のAさん。クルド人はトルコで差別を受けており、父親はトルコの軍隊で右耳に鉄の棒を差し込まれ鼓膜を破られました。トルコから逃れるため来日した父親の後を追い、Aさんも9歳の時に日本へ。以来10年以上、埼玉で暮らしています。
父親にはトルコ政府から逮捕状が出ており、帰国すれば命の保証はありません。にもかかわらず、日本政府は難民と認めません。たびたび入管に収容され、いまは一時的に収容が解かれる仮放免という立場。既にトルコにいた時より、日本での生活が長くなったAさんも仮放免です。
人生を変えたサッカー
日本の小学校に入学したAさんですが、当初は日本語が分からず、友人もいませんでした。しかし、サッカーとの出会いが人生を変えます。身長の高いAさんは小学3年生の昼休み、クラスメートに手を引かれてゴール前へ。ゴールキーパーをやってくれ、という合図でした。「シュートを止めると、みんな喜んでくれた。初めて友人ができた」と振り返ります。
しかし、この生活は長く続きませんでした。小学4年生の時に父親が突然、入管に収容され転校。父親をまるで犯罪者のように扱う噂が広まり、仲間外れにされたAさんは学校に通えなくなりました。父親の収容後、よく泣いていた母親に心配をかけまいと、登校するふりをして公園へ行って時間をつぶし、下校時間になったら家に帰る生活でした。
その後、父親の収容が解かれ、前の学校に戻って学校生活を取り戻したAさん。中学でもサッカー部に入り、プロを目指しました。しかし、高校生になると現実を突きつけられます。仮放免者は16歳になると、自ら入管に出頭することを義務づけられるのです。
高校1年生の9月、入管に初めて出頭したAさんに対し、職員は「どんなに頑張っても仮放免。時間とお金の無駄だから国に帰って」と酷い言葉を投げつけました。「聞き間違いかと思った。なぜ、そんなことを言われるのか」とAさん。それでも成績が良ければ入管が認めてくれると思い、必死に勉強と部活を両立。クラスでトップの成績をとり、翌3月の出頭日に成績表を持参しました。ところが、入管職員は「仮放免者は就職できない。プロのサッカー選手も就職にあたる。たとえスカウトが来ても選手になることは不可能」と言い放ちました。
「入管からどうやって帰宅したのか、あまりのショックで覚えていない」。絶望してサッカー部を退部。退学も考えましたが、両親の期待を裏切りたくないと通い続けました。
初めて出会った“人権”
サッカーの夢をあきらめた自分自身に嫌気がさしたAさん。「何をしても楽しくない」と落ち込みましたが、ある出来事が彼を変えます。
高校2年生の社会科の授業で、初めて“人権”という言葉に出会ったのです。「人間が生まれながらにして持つ、誰からも奪われることのない人権が自分には保障されていない」と気づきます。
誰もが人権を保障される社会になることに貢献しようと、支援を受けて大学に進学。将来の夢はUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)で働くことです。
父親はトルコで受けた右耳の傷が悪化しましたが、日本では医療保険に入れないため放置。細菌が左耳に感染し脳に支障を来す重傷になりました。大学病院で手術を受けましたが、右耳だけで116万円の費用は借金。左耳の手術はできていません。
父親は3回目の難民申請中です。6月の通常国会で入管難民法が変わり、3回目の申請以降は強制送還ができるように改悪されました。父親が強制的にトルコに帰国させられたらどうなるのか。「先のことは考えたくない」。人なつこい笑顔が印象的なAさんの表情が曇ります。
「日本は第2の母国」
辛い思いを繰り返してきたAさんですが「それ以上に楽しい思い出もある。日本は第2の母国です」と言います。
トルコはクルド人に同化政策をとっており、クルド語を話すだけで暴行されます。「トルコにいたら、クルド人として生きていくことはできない。日本で生活するしかありません」。
いまでもサッカー選手の夢はあきらめきれません。「今を頑張って生きれば、生まれ変わったらサッカー選手になれるかもしれない。神様は信じていませんが」と微笑みます。
このままでは大学を卒業しても日本では就職はできません。NGOなどで働きながら、国連職員になろうと考えています。「日本で普通の暮らしがしたい、ただそれだけ。私と私の家族を難民と認めてほしい」。
医療は本来、無差別・平等
名南病院
経済的に困窮する外国人を支援する民医連。そのうちのひとつ、名南病院(愛知県名古屋市)を8月に取材しました。最高気温が38℃のこの日、交通事故の後遺症に悩むフィリピン人のBさん(38歳)が初めて受診。右足を引きずりながら、外科の早川純午医師の診察室に入ります。
Bさんは4月にオートバイを運転中に車と衝突、意識不明になり救急車で搬送されました。警察の事情聴取で在留期間が切れていることが分かり勾留され、その後、名古屋入管に収容されました。
3カ月間の収容中は「痛いと言っても湿布をくれるだけ。ずっと我慢していた」とBさん。病状が悪化し、入管は追い出すようにBさんを仮放免に。支援者が探した名南病院を受診することになりました。
名南病院は2011年に始めた無料低額診療事業(無低診)を使い、医療費を払えない外国人を治療しています。事業の適用範囲を柔軟に対応しているため、他院を断られた外国人が三重県や静岡県からもやって来ます。昨年度の無低診利用者は352人で、外国人は247人を数えます。
持ち出しは1千万円
無低診を実施する医療機関には固定資産税等が優遇される措置がありますが、名南病院は対象になっていません。このため、同院の無低診の持ち出しは昨年度で1000万円を超えました。
同院の取り組みはテレビで放映されました。経営に影響を与えても難民を支援することを不思議に思ったテレビ局のインタビューに、「外国人も日本人も関係ない。単純にそれだけ」と答えた早川医師。
「病気になるのは個人の責任ではなく、社会的な問題。それが僕たちの病院の基本的な考え方。本来、医療は無差別・平等であるべきです」と言います。
全国で無低診に取り組む医療機関は732施設、うち民医連は401施設と55%を占めますが、全医療機関の0・4%にすぎません(2020年度)。もともと生活に困窮する人々の健康を守ろうと発足した民医連。国内でいま、最も権利をはく奪されているのは難民と認められない非正規滞在の外国人です。
“現代の奴隷”
入管の収容に期限はありません。一昨年3月に名古屋入管で亡くなったスリランカ人のウィシュマさんのように、収容中はまともに治療をしてもらえず、病気で亡くなったり自殺する外国人も多くいます。
取材した日、名南病院を受診したBさんの支援者は「収容中は満足のいく診療はなく、どんなに不安だったことか。これでようやく彼も安心できる」と言います。
10年以上外国人を診察してきた早川医師は「いつ入管から出られるか分からない。先の見えないストレスが原因で病気になる人が多い」と指摘します。
仮放免中は仕事に就けず、移動の自由もなく、まるで現代の奴隷のよう。「存在が否定されており、犯罪者より酷い扱い。民医連が大切にしてきた人権が全くない状態です」と早川医師。
「自分がこのような扱いを受けたら、どう思うでしょうか。国はまず、外国人の人権を認めることから始めてほしい」と話しました。
いつでも元気 2023.10 No.383