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いつでも元気

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神々のルーツ 焼却された出自文書

文・写真 片岡伸行(記者)

特別史跡「百済寺跡」に隣接して建つ百済王神社(大阪府枚方市)

特別史跡「百済寺跡」に隣接して建つ百済王神社(大阪府枚方市)

 今年5月号で、伊勢神宮近くの「韓神山」の名が現在の地図から消えていることを紹介しました。一方、古代の首都にも消された地名があります。また、皇族・氏族の出自を巡る文書も消去・隠蔽された可能性があります。

 昨年10月号で、今の関東地方にあたる武蔵国に高麗郡、新羅郡が置かれたことを紹介しました。朝鮮半島に関わる名称は地方に限ったことではなく、古代日本の首都圏にあたる畿内でも多く見られました。

古代の首都にあった「百済郡」

 平安時代の古地図『浪華上古図』(17ページ写真)を見ると、今の大阪市中心部(生野区、天王寺区あたり)に「百済郡」があり、百済州や新羅州も載っています。
 現在の大阪府枚方市には百済王神社と百済寺跡、東住吉区にはJR百済貨物ターミナル駅、平野区には百済橋があります。今年8月号で百済出身者の祖神・今木神を祀る平野神社を紹介しましたが、大阪を流れる現在の平野川はかつて「百済川」と呼ばれていました。
 古代の難波は政治の中心地。7世紀半ばの「大化の改新」は首都・難波宮(現在の大阪市中央区)から発せられました。難波宮のすぐ隣が百済郡で、近くに外客を迎える高麗館や百済客館など公的施設もありました。※1 朝鮮半島にあった国の名を冠した地名などが、古代の首都中心部に多数あったのです。

同族入植の地か

 『日本書紀』によると、百済王族の善光(禅広)が百済滅亡(660年)後に亡命、664年に難波に居を構えます。既に多くの百済人がこの地にいたことが百済郡の置かれた理由かもしれませんが、果たしてそれだけでしょうか。
 世界を見渡せば、こうした例はしばしば見られます。英国の植民地だった米国は、英国から渡った移民が祖国由来の地名をつけました。ヨーク公爵が占領した場所は「ニューヨーク」と呼ばれ、ハンプシャーからとられた地名が「ニューハンプシャー」です。
 中米にエル・サルバドルという国がありますが、国名はここを植民地にしたスペインの言葉で「救世主」を意味します。コスタリカもスペイン語で「豊かな海岸」という意味。つまり同族が移住・入植したか、何らかの支配関係がなければ、他国の名や言葉を地名・国名などとして勝手につけることはないのです。

「日本は三韓と同種なり」

 平安時代初めに編纂された古代の氏族名鑑『新撰姓氏録』によれば、当時の首都圏に住む氏族の約3割が朝鮮半島と中国大陸の出身者です。皇族を含む他の7割は「神が先祖」などと自称していますが、出自を偽り脚色しているのは明らかでしょう。
 中世の最も重要な歴史書とされる『神皇正統記』(1300年代、著者は南朝の公卿・北畠親房)に次の記述があります。
〈日本は三韓と同種也と云事のありしか。かの書を桓武の御代に焼捨られし〉
 三韓とは古くは朝鮮半島南部にあった「馬韓、弁韓、辰韓」を指し、のちに「高句麗、新羅、百済」(後三韓)を指します。今年8月号で紹介した第50代桓武天皇の世(奈良時代末から平安時代初め)に、「日本は三韓と同種」という出自をめぐる文書が焼き捨てられたというのです。
 法規制のある現代でも公文書改竄や隠蔽がまかり通っていますから、古代においては言わずもがな。百済系の母(高野新笠)をもつ桓武は何か考えるところがあったのでしょうか。新羅系、百済系など、今で言う派閥が権力抗争に明け暮れるヤマト王権の負の歴史を葬り去るため、あえて出自を示す証拠文書を焼却させたのでしょうか。
 意図は不詳ですが、列島の歴史は古代に隠蔽された可能性があり、平安期の首都圏にあった「百済郡」などの地名も、いつしか消去されたのです。※2 (つづく)

※1 直木孝次郎編『古代を考える 難波』(吉川弘文館)に詳しい
※2 奈良県北葛城郡広陵町にも百済寺があり、「大字百済」の地名が残るほか、近くを流れる曽我川は百済川とも呼ばれた。島根県大田市には「百済浦(浜)」が、熊本県葦北郡にはかつて「百済来村」(現在の八千代市坂本町百済来)があった。そこには「久多良木城」跡も。いずれも百済からの移住者が住んでいた場所である

いつでも元気 2023.10 No.383