けんこう教室 高次脳機能障害(上)
「高次脳機能障害」とは、耳慣れない言葉かもしれません。
どのような症状で、当事者はどんな困りごとを抱えているのでしょうか。
『高次脳機能障害~医療現場から社会をみる』の著者・山口研一郎さんが2回にわたって連載します。
高次脳機能障害とは、事故や病気によって脳がダメージを受け、言語や思考、記憶などの知的機能に障害が起こることです(資料1)。外見上は障害が目立たないケースもある一方で、日常生活や社会活動に支障を来すことが多くあります。
高次脳機能障害を生じる主な原因として、頭部外傷や脳卒中(特にくも膜下出血)、ガス中毒や心停止による低酸素脳症などが挙げられます(資料2)。交通事故による頭部外傷を例にして解説します。
症状の特徴
Aさんは路上を歩いていた際、乗用車に追突されて転倒し、頭を強く打ちました。直後に意識を消失して、病院へ救急搬送。救命処置後、頭部のCT検査やMRI検査が実施されました。脳挫傷による脳出血が判明し、開頭手術が行われます。
1~2週間後、眠りから覚めたAさんは、集中治療室から一般病棟へ移ります。そこで初めて、家族や友人の顔と名前を思い出せないことに気がつきます。全身状態も回復しリハビリ病院へ転院する頃、トイレに行った後で自分の入院部屋が分からないなどの混乱が生じます。
事故から4カ月ほど経ち、退院して自宅へ戻ることができました。しかし、住み慣れたはずの自宅に全く覚えがなく、日常生活で混乱を来すことになります。
さらに2~3カ月後、職場へ復帰しても、以前は容易にこなしていた仕事の段取りがつかめず、指導する上司に対し悪態をついてしまうこともあります。自信を喪失し、会社の同僚や家族に対して不信感を募らせ、自宅に籠もりがちになってしまいました。
医療機関を受診
Aさんの状態を見かねた家族が、脳損傷後の精神症状について相談できる医療機関を探し、Aさんと一緒に受診しました。人によっては、この時点で事故(発症)から1年以上が経過していることもあります。
診察中、家族の深刻な訴えに比べて、Aさんからは何の訴えもありません。ご自身の症状について認識して、うまく説明することが難しいようです。
医師は経過を聞き取り、高次脳機能障害と診断しました。その際、記憶力や思考力、判断力、集中力、持続力などを評価する知能検査が、臨床心理士によって実施されます。
問題は治療です。脳(特に大脳領域)の損傷はすでに“治癒”(症状が固定)しており、発症前には戻せません。記憶力低下などの症状を改善させる薬もありません。うつ的傾向や怒りっぽい性質に対して、抗うつ薬や精神安定剤が使われ、合併するてんかん発作に抗てんかん薬が処方されるのみです。
認知リハビリなどのリハビリは有効です。私のクリニックでは、まず言語聴覚士がAさんの病態とその程度、今後の目標を把握します。その上で同様な症状を持つ6~7人のグループに参加してもらい、コミュニケーションを交わします。
グループでは自らの病態を理解し、対処方法や感情コントロールの方法を身につけ、社会性(他者との関係性)を獲得することが重要です。皆さんの目標が社会復帰(職場や学校への復帰)にあるからです。
見えにくい障害
高次脳機能障害の当事者は、日常生活や社会活動に支障が出るだけでなく、社会の無理解や差別にも悩まされています。
再び交通事故を例に挙げます。交通事故の被害者は治療しても後遺症が残った場合、自賠責保険の後遺障害認定を申請します。交通事故による高次脳機能障害は、毎年約8000人発生していると言われます。ところが、統計を見ると3000人程度しか認定されていません(資料3)。
残りの5000人は「診断されたのが事故から数年後で因果関係が不明」「事故以前から同様な症状(怒りっぽい性質など)があった」「子どもや高齢者で、発達障害や認知症との区別がつきにくい」などの理由で認定されていません。
交通事故による高次脳機能障害で職を失ったにもかかわらず、治療費しか補償されないということが起こりえます。異議を申し立てたり裁判で争う道もありますが、逆転認定を勝ち取るのはかなり難しいのです。
就労の壁
いざ就労したいと思っても、高次脳機能障害の方は避けられる傾向にあります。2016年4月施行の改正障害者雇用促進法は、障害者に対する差別的な扱いを禁止し、障害の特性に配慮した措置(合理的配慮)を行うよう雇用者に義務づけています。
しかし高次脳機能障害の方の場合、その症状の特性もあり、採用を避けられることが多いのです。「高次脳機能障害のことを言えば断られるので、面接時も触れませんでした」という方が数多く存在します。
次回は高次脳機能障害と現代社会について、もう少し詳しく掘り下げます。
高次脳機能障害
~医療現場から社会をみる
著者:山口 研一郎
出版社:岩波書店
定価:2,420円(税込)
いつでも元気 2023.7 No.380