戦争とは何か③
戦争について考えるシリーズの最終回。
ポーランド在住のルポライター丸山美和さんが、日本の歴史から国際社会の安全保障について考察します。
ロシアによるウクライナ侵攻以降、「日本はどうするべきか」と問う議論が高まっている。「きょうのウクライナはあすの日本」との声も聞く。本当にそうなのだろうか。
日本政府はここ最近、軍備増強に躍起だ。岸田首相は今後5年間の防衛費を総額43兆円とする閣議決定をした。唐突な決定のうえ、あまりに巨額な軍事費。政府は理由として中国や北朝鮮の脅威を挙げ、南西諸島のミサイル基地化を急速に進める。果たして軍備増強は、日本の安全を守るうえで最善の選択なのだろうか。
満州事変と酷似
かつての日本が歩んだ道を振り返ってみたい。
明治時代以降の日本は隣国の清国やロシアと戦争を起こし、軍事国家への道をまい進。1910年に韓国を併合すると、ここを足掛かりに中国への侵略を始めた。
31年には日本の関東軍が南満州鉄道を爆破。ところが日本は「中国の犯行」と虚偽の言いがかりをつけ武力行使へ突入。国際社会は日本を激しく批判したが、それでも侵略をやめなかった。翌年には満州国を建国、清王朝最後の皇帝を執政に据えて国際連盟から脱退し、孤立を深めていった。
ロシアの国際社会での立場は、当時の日本に酷似している。プーチン大統領はウクライナ人を「ネオナチ」と呼び、ロシア系住民を守ることを口実にウクライナへの侵攻を開始。ウクライナ東部の2州を勝手に「ドネツク人民共和国」「ルハンスク人民共和国」として〝独立〟を承認した手法は、満州国建国そのものである。
これまで絶えず国際社会が即時停戦と撤退を呼び掛けてきたが、ロシアに応じる気配がなく、世界で孤立が深まる一方だ。
日本の敗戦から78年。この間、世界で一度も戦争や紛争を経験していない国を探すのは難しいが、日本はその一つだ。しかし国際連合では常任理事国になれない。かつての一連の侵略行為によって、国際的信頼を失ったままだからである。一度失った信頼を回復する道のりは険しい。
現在、どれだけの日本国民が、戦争への反省の気持ちを持っているだろうか。
筆者は欧州の生活で「かつてアジアを侵略し植民地化したことについて、どう思っているのか」との質問を数えきれないくらい受けた。世界は日本の戦争犯罪を忘れてはいない。また、欧州の報道などでは、イランがロシアに提供している無人飛行機を「カミカゼ」と呼んでいる。
日本人にとって戦争は〝遠い昔〟かもしれないが、国際社会は違う。世界が日本に対して抱くイメージについて、私たちは今一度、確認しておくべきだろう。
言論封殺の恐怖
日本で再び戦争が起きる不安とともに、社会を覆う息苦しさが心配だ。政府は道徳や社会科教科書の内容、日本学術会議の運営、報道番組などにたびたび介入してきた。一見、自由に見えるこの国で、果たして言論の自由は守られているのだろうか。
戦前の日本が軍事国家へ向かうための政策の一つが、言論統制だった。軍国主義に反対する人々を片っ端から逮捕し、投獄することを繰り返した。
1925年の「治安維持法」制定以降は弾圧の激しさが増し、殺害もいとわなかった。なかでも有名なのは、労働者への搾取や抑圧を鋭く描いたプロレタリア作家、小林多喜二の虐殺である。国家権力によるこうした数々の残虐な行為は国民を恐怖に陥れ、抵抗する力を奪い、沈黙させた。
現在のロシアもまた、厳しく報道を規制している。政府に都合のよいプロパガンダを流して情報を操作。真実の報道を続けようとするマスコミを閉鎖に追い込み、戦争に反対する国民を次々と拘束している。日本がこのまま軍備増強と言論への介入を進めればどうなるのか。
歴史の分岐点
軍事国家の道を歩み、侵略戦争を始めたかつての日本。無数の街や集落を破壊し、罪のない多くの人々が死に、広島と長崎に人類史上初の原爆が落とされた。その代償はあまりに大きく、現在もなお被爆の後遺症に苦しむ人がいる。
筆者は小学校で「憲法九条は戦争を起こした日本国民の反省と非戦の誓いの証であり、戦後日本は反省とともに歩みを続けている国なのです」と学んだ。
「戦争をしない」と決めた憲法とともに歩んできた戦後の道のりは、国際社会から少しずつ信頼を取り戻すために必要な歳月だった。
日本はこの先、さらに信頼を得る国になるのか。それともプロパガンダで国民の愛国心をあおり、情報を操作するような国になるのか。私たちはいま、大きな岐路に立たされている。
ロシアのように、国民の意思に関係なく政府が勝手に戦争を起こすようになってからでは、もう遅いのである。(おわり)
いつでも元気 2023.6 No.379